全てが終わるとき/ポロロッカの砕ける川辺で/蝉の声を聴いた 7


 遠野志貴の葬儀が執り行われたのは、まだ春には遠い一月上旬のことだった。町内の小さな寺で、先だって行われた妹の秋葉を送った盛大な葬儀とは比べるべくも無いほど、ごくささやかに行われたのだった。
 最初のうちは、その葬儀さえも出されないはずだった。なんで七夜の者などに――と、一族の中に志貴への反感が流れていたためだ。秋葉の死に、志貴が関わっているという憶測があったからでもある。だが、志貴と個人的な親交があった一族の重鎮、久我峰斗波が推し進めたのと、名目上とはいえ本家最後の継承者の葬儀を出さなければ不味いという対外的な判断が後押しをして、葬儀を出すことに決まったのだ。
 雪の降る日だった。喪主は斗波が務め、他に一族の出席は有間家を除いては無かったものの、形式だけは整えられた。実質的な喪主となったのは、志貴の最期を看取った使用人姉妹であった。
 別段喧伝もされず、密葬の観さえあった。だが、そんなささやかな葬儀にしては、驚くほどたくさんの人が詰め掛けていた。
 一番多かったのは志貴のクラスメートだったが、なぜか過去在籍したほとんどの学年の級友たちが、縁が薄かったはずの知人の葬儀に詰め掛けていた。また秋葉の葬儀のときに関わったきりの、秋葉の友人たちも、多数出席していた。志貴が暮らした町の人々も三々五々やってきていた。また乾姉弟がいる、有間家の人々がいる、時南親子もいる。カレー屋の店主もいれば、ラーメン屋台の店主もいる。わずかな縁だったはずのストリートミュージシャンたちもいれば、どんな縁だったのか分からない作家らしき者もいる。他にも、ほんの僅かな縁だったにも関わらず、なぜか志貴のことを憶えていた人々が、大勢で参列していた。それは、一介の高校生の葬儀とは思えないほどだった。
 養父だった有間家の当主は、志貴の位牌を前にじっと押し黙っていた。養母だったその妻は、溢れる涙を隠そうともしない。義理の妹だった有間家の娘は、ただただ泣きじゃくった。
 乾家の姉は、なぜかチェスのクイーンを置いていった。その弟は、遺影にパンチをする真似をして、ニヤッと笑って見せた。食いしばった口元は、小さく震えていた。
 名目上の喪主は斗波だったが、位牌を持ったのは使用人姉妹の妹だった。遺影を捧げたのはその姉だった。棺はクラスメートたちによって運ばれ、やがて恙無く荼毘に臥された。
 墓所も難航しそうだったのだが――まあ、いいじゃありませんか――と、あっさりと決まったのだった。ご本家の方々も七夜の者も、共に全てが涅槃へ去ったのですから――と。
 志貴の遺骨は、遠野本家の墓の近くに並んで建てられた、小振りな墓へと収められた。そこには『七夜家累代之墓』と刻まれた。墓標を建てられることの無かった七夜一族の墓を、それを滅ぼした遠野家の縁者が建てたのだ。
 遠野と七夜。魔物と魔を討つ者との戦いは、その全てが墓に入ることで終結したのだった。両者は、その最後の世代同士の悲恋を挟み、ここに並んで眠るという形で、最終的な和解へと至ったのかもしれない。

 葬儀から一週間が経ったある日、遠野家の裏門の前に、シエルの姿があった。
「これからどうされるのですか?」
 シエルがそう問うた相手は琥珀だった。その後ろに翡翠も立っている。
「しばらくはこのお屋敷の管理を任されました。お屋敷の新しい主が決まったら、もう自由にしていいと、久我峰様からはいわれてます」
 琥珀は、背後の翡翠にちらりと微笑を向けた。
「この先、二人で生きてゆくには十分なお給金も頂いてますし、三咲を離れたら、どこかでお茶屋さんでも開こうかなと思ってます。もちろん、翡翠ちゃんとですよ」
「もしも遠野の一族と縁を切るのが難しいのなら、私が力を貸して差し上げますよ」
「ありがとうございます。でも、その点は抜かりありませんよ。私たちのそもそものご本家である巫浄様のご協力を仰いでいます。大丈夫です。魔の一族に仕えた者が、平和裏に離れるなんて、過去いくらでもあったことですから」
「そうですか。それがいいと思います」
 シエルは、やっと安心したような笑みを浮かべた。
「シエルさんはどうなさるんですか」
「私ですか。もう次の任務についての指示が来ていますので、今日限りで三咲町を離れることになりますね」
「そうですかー。寂しいですね」
 琥珀は、本当に寂しそうに微笑んだ。
「こうやって志貴さんに縁のあった方々が居なくなってしまうと、本当に寂しくなってゆきますねー」
「また縁があったら立ち寄りますよ。お二人の新しい住所を教えてくださいね。その時は、おいしいお茶をご馳走してくださいね」
「もちろんです。お待ちしてますよ」
 琥珀の背後で、翡翠も淡く微笑んだ。
 シエルは、塀の向こうに見える遠野家の森に眼をやった。
「遠野君は大馬鹿者でしたけど――」
 一度言葉を切って、それからまだ微笑んでいる琥珀と翡翠を振り向いていった。
「でも、よくやったっていってあげたい気もしますね。良くぞあそこまで秋葉さんを愛して差し上げましたねって」
「そうですねー。秋葉様への愛に殉じてしまわれるなんて、いかにも志貴さんらしいですねー」
 琥珀は微笑んで見せたが、そこに悲しみの色を隠すことはできなかった。
「ねえ琥珀さん。遠野君は、秋葉さんは幸せだったのでしょうか」
 衝動的に、シエルはそう口走っていた。
「あの短い人生で、想い人と一度しか抱き合えなかったというのに、それでも幸せだったのでしょうか」
「私にはわかりません。でも――幸せだったかどうかと、長生きしたかとか、長く付き合えたかとかいった事は、無関係なのではないですか?」
 琥珀は、塀に沿って少し足を踏み出して見せた。
「きっと、志貴さんが秋葉様を抱きしめられたとき、志貴さんは幸せだったはずです。そして秋葉様だって幸せでいらっしゃったはず。ええ、きっと比べるものなんかないくらいに。だったら、もしそこで死んでしまわれたのだとしても、お二人は幸せだったということになりませんか?」
 琥珀は、シエルの方に振り向いた。
「だって、一生の間、一度も幸せな思いをしたことが無い人が、ただただ長生きすることが、私には幸せな人生だとは思えないんですもの。どんなに短い人生だったとしても、幸せになれる瞬間があったのなら、その人は幸せな人生を歩んだんだってことにならないでしょうか。きっと、お二人だってそんな気持ちだったはずですよ」
「そうですか――」
 なにかが胸に落ちたのか、シエルは表情を和らげた。
「昔、悲惨な目に遭ったとあるユダヤ人が、同じようなことをいってました。それは確かに、人生の数少ない真理の一つなんでしょうね」
「きっとそうですよ。だから人間は幸せになりたがるんです。そして死にたくないという気持ちには、この先にきっと幸せが待っているんだっていう期待があるはずですよ。志貴さんの場合は、あまりに幸せな目に遭いすぎたのですね。本当に、お二人ともお幸せでした」
 シエルはしばし空を見上げていた。暗い空に、暗い雲が流れてゆく。それでも私は、やっぱり生きてゆくのだ、と。

 使用人の姉妹と別れ、自分のアパートへと向かっていた。
「ねえシエル」
 ガードレールに座って待ち構えていたのは、シエルとは旧知の仲の真祖の姫だった。ひどく冷たい笑みを張り付けている。
「約束よ。しばらくは私の猟犬になってもらうからね」
「――分かっています」
 シエルは硬い表情で答えた。真祖の姫から夢魔を借り受けるにあたり、シエルはずいぶん不利な条件を飲んでいた。それも、遠野志貴を救いたいがためだった。
「ま、全てが無駄になったわけだから、あなたが腑に落ちないのは分かるけれど、取引は取引だからね。私だって夢に特別参加させたそうじゃないの。その分も考えておいてね」
「別に無駄に終わったわけではありません。レンさんは十分に役立ってくれましたよ」
「ふーん。でもさ、いくら魔眼持ちとはいえ、たかがひ弱な男一人に躍起になるなんて、珍しいこともあるものね。混ざり者の娘に執着するのならともかく」
「アルクェイド、あなたには遠野君たちの価値はわかりませんよ」
「ふん、なにさ、たかが人間一人に。死都一つを丸々滅ぼしてしまえる私たちにとって、そんなものはどうでもいいでしょう」
「あなたには遠野君の意味が分からないんです」
 ついカッとしながら、シエルは言い返していた。
「遠野君は、あなたの可能性さえも変えられる人でした。彼は――死徒以上に特別だったんです」
「でも死んじゃったでしょ」
 アルクェイドは手をひらひらと振り、言い争いを打ち切った。
「はいはい、わかったから。あのね、この町にはもうロア候補はいないから、用がないの。私は先にフィリピンに渡っているからね。ちゃんと来るのよ。死徒の活動範囲はますます広がっているわ。もちろん、ロアもね。奴が力をつける前に滅ぼすのよ」
 アルクェイドはひらりと歩き出すと、あっという間に見えなくなった。シエルはため息をついた。遠野君、あなたのいない世界は、こんなにもつまらないものなんでしょうか。生きている者の生は、否応無く続いてゆくんですよ――
 シエルは、自分の胸に手をやって、気合を入れると、きびきびと歩き出した。その顔は、既に神の猟犬としてのそれに戻っていた。

「姉さん、大丈夫?」
 シエルが去った裏門で、翡翠が琥珀を支えている。
「大丈夫よ。ちょっと気分が悪くなっただけ」
 琥珀は立ち上がると、腹に手をやって見せた。
「ふふふ、きっとこの子は男の子ね。悪阻が長引いているから」
 そう、琥珀の胎内には、新たな生命が宿っていた。時期的にみて、遠野四季の子なのだろう。憎むべき陵辱者の残した命。それでも、この小さな生命は、姉妹に残された一つの希望だった。だが、同時に姉妹の心配の種にもなっていた。この子は、遠野本家最後の血筋なのだ。遠野一族にそれを知られたならば、奪い取られるだろう。この子を、多くの悲劇を生み出した、遠野の掟に縛り付けるつもりは無かった。二人が急いで遠野家と縁を切ろうとしているのは、そのためだった。
「姉さん、今日は休んでください。料理は私がやりますから」
「そうね。翡翠ちゃんも、ずいぶん料理の腕を上げてきたから、もう任せちゃっていいかな。姉さんはしばらくお休みさせてもらいますね」
 姉妹は支えあいながら、たくさんの思い出が詰まった屋敷へと戻っていった。そこを離れるのももうすぐだ。姉の肩を支えながら、翡翠は森の奥に、秋葉終焉の地へと目を向けた。
 秋葉様、志貴様、私たちはもう大丈夫です。お互いがいれば大丈夫です。まして、この子がいるんですから。きっとこの子を幸せにして見せます――
 たくさんの死を乗り越えて、なおも残された者たちの人生は、そして命は、続いてゆくのだ。だが、琥珀と翡翠にすら予想もできないことがあった。それは、琥珀が宿した生命が、男女一組の二卵性双生児だということだった。

 こぽこぽこぽ。
 わたしをつつんでいるのは、おかあさんのおなか。
 どくん、どくん。
 おかあさんのこどうが、わたしのこもりうた。
 そして、
 とくん、とくん。
 わたしのこどうと、
 とくん、とくん、
 もうひとつのこどうが、かさなりあって、ひびきあう。すぐそばに、いとしいひとがいるのがわかる。

 にいさん、こんどはずっと、いっしょですね。

<了>

TOP / Novels