彼女のミステイク



「旅行はどこに行くんだよ」
 夏休みに入った頃、屋敷に戻るために部屋の簡単な片づけをしていた秋葉に、蒼香は声をかけた。
「涼しいところがいいでしょう、ということで、南米よ。この時期にスキーも出来るしね」
 兄との仲は上手く行っているだろう、そう話してくれる秋葉の顔は、どうしても緩みがちになっている。
「ふうん、お大尽だねえ」
 蒼香は、せいぜいため息をついて見せた。
「わたしの方は、例の事情で実家にも帰れないし、かといって旅行に出かけるほどの金も無いしで、暇なもんさ」
「あら、羽居と旅行に行けば?」
「羽居の引率なんてごめんだよ」
「あー、ひどいんだー、蒼香ちゃん」
 床に座り込んで――というのも羽居の机は訳の分からないもので埋め尽くされているからだ――謎の内職をしていた羽居は、口だけで抗議して見せた。
「そういう羽居は金回りいいよな。なにしてるんだ? 頼まれごと?」
「んーん、アルバイトだよー」
 羽居は、小さな机にノートパソコンを載せて、なにやらぽちぽちと打ち込んでいる。瀬尾のごとき創作に目覚めたのか、とも思った。蒼香は、羽居の足元に散らばった書類の一つを手に取ってみた。
「なに、見積書……。経費四百万円!」
 ええっ、と声を上げて、秋葉ものぞき込んできた。
「なによこれ。羽居、どんなアルバイトしてるの?」
「ITだよー。クライアントさんがお金は惜しまないから短期で、ってことだからー、頑張ってるんだよー」
 蒼香も秋葉も、呆然と書類を眺めている。画面を覗き込むと、訳の分からないプログラムらしきものを、かなりのスピードで叩き込んでいる様子だった。
「そうだー。蒼香ちゃん、一緒に旅行に行こっ? わたしがお金出してあげるからー。この仕事が上がったら、手許に二百万ほど入るんだよー」
 蒼香も秋葉も、呆然としているしかなかった。羽居の底知れなさに、ただただ愕然とするしかなかった。

 そういえば、と秋葉はなにかを思い出したようだ。
「蒼香はインターンはどこに行くの?」
「えっ、インターン? ああ」
 浅上では、高校二年の二学期から、社会実習という授業が始まる。授業というか、学校が選別した一般企業、団体に、実習生として月に数回、勤務させられるというものだ。どうも、六年も閉鎖環境で暮らす筋金入りの箱入り娘集団を危ぶんで、何年か前に設けられた制度らしい。
「どこでもいいけどな。実入りがいいところがいい」
 実習では、ちゃんと給料が支払われる。建前上は学校側によって強制的に貯蓄させられるのだが、その点は抜け道もある。このところ、志貴と遊びまわり、さらに服のバリエーションも増えた蒼香には、ずいぶん嬉しい制度だ。
「残念だけど、そういうところは一学期中に埋まってるわね。蒼香、動くのが遅いわよ」
 むう、と蒼香は唸った。なにせ、一学期中は、志貴との恋愛で浮かれきっていたのだから。
「じゃあ、今からだと定番の看護婦さんくらいかな」
「私はそうするつもりだけど」
 ふむ、と蒼香は想像してみた。看護婦姿の秋葉は、ちょっと想像も出来ない。患者の方が、思わずひれ伏してしまうのではないだろうか。
「あのね、一ついいこと教えましょうか」
「おまえさんの『いいこと』には、なにか裏がありそうだけどね」
 秋葉は、ふふっと笑った。
「察しがいいわね。実は、今年から、うちの会社でもインターンを取ることにしたの」
「遠野の会社? っていってもさ、いくらでもあるだろう」
「だから、その頂点の持ち株会社よ。直接私の下に来る秘書課に、一人入れる予定なの」
 どう、と秋葉は目で問うた。蒼香は、ふむ、と考えた。
「きっと実入りはいいんだろうな。でも、わたしにこなせるかな」
「それは実習だから。大丈夫、秘書やってるのは、ほとんどが浅上の先輩方よ。私もちょっと複雑ですけどね。でも蒼香が可愛がってもらえるのは、間違いないわよ」
「ううん、それも悪くないかな」
 以前の蒼香なら、なんとなく反発して蹴っていただろう。だが、ほどほどに依存することを覚えた今の蒼香には、なるほど魅力的な提案に思えた。
「それにね。私の手許にいたら、ご実家の方からも守ってあげられるでしょう?」
「あ、うん、そうか。そういう含みもあるのか」
 珍しく、狙いを明け透けに話してくれた秋葉に、蒼香は少し戸惑った。
「なるほど。遠野はわたしの実家の事情を気にしていてくれたんだな」
 遠野は、わたしを大事に思ってくれる――蒼香は密かに、胸が熱くなる思いだった。さりげなく目を配ってくれて、いざというときには自分のために動いてくれる。そんなことをしてくれる友人は、遠野秋葉だけだと思った。
「ま、お前さんの思惑にはまるのは業腹だけどさ。考えといてやるよ」
「いいわよ。埋まっちゃっても知りませんけどね」
 二人の関係は、とてもサラリとしたものだ。でもどっちかが倒れそうになると、さりげなく手を差し伸べあう。そんな親友がいてくれて、わたしは幸せだ――蒼香は、つくづくそう思った。

 志貴とは、夏休みが始まった直後、一度ライブに付き合ってもらったのが最後だった。「次に会えるのは盆が終わってからだね」と、志貴に言われた。三週間も志貴抜きで暮らすのかと思うと、遣る瀬無い思いだった。その間、身体が疼いて仕方ないのではないか、と。そんな思いがあったせいもあるだろうが、その時のセックスは普段よりずっと激しくて、しかも丹念なものになった。志貴も、蒼香の身体を味わいつくそうとでも言うように、眠ることすら忘れて、愛してくれたのだった。
「太陽が黄色く見えるって、分かるね」
 翌朝、起き抜けにまたセックスして、素っ裸のまま、朝のルームサービスで取ったコーヒーを一緒に飲みながら、二人はそんなことを話し、笑いあった。
 陽光の中、二人は仲睦まじく向かい合っている。ふと、間に子供を置いて、笑いあっている未来のことを思い浮かべた。志貴の子を身ごもって、それから――
「ん、どうした?」
 蒼香の凝視に気づいて、志貴は不思議そうな顔になった。
「なんでもない」
 蒼香はカップを置くと、そのスレンダーな肢体を見せ付けるように、志貴の前に立った。朝日を背に、そのしなやかな裸身が、日の光に輝いている。志貴の目が、蒼香の顔を、乳房を、そしてオンナを見つめている。見られるだけで、蒼香のオンナの奥底から、じわっと熱いものがにじみ出てくる。
「なあ志貴、本当に太陽がまっ黄色に見えるまで愛し合わないか? わたし、三週間も志貴無しで過ごすの、寂しいんだ。だから、思い切り抱いて欲しいんだ」
 唆すように、甘えるように囁くと、志貴の目に欲情の霞がかかった。起き抜けのセックスで果てていたペニスも、陽光の下で蘇るようにして、みるみるうちに勃起する。
「ああ、もちろん。蒼香の気が済むまで、抱いてやるよ」
 志貴の手が蒼香の腰に回され、抱き寄せられる。志貴の唇が、蒼香の乳首をついばんだ。指が蒼香の尻の割れ目から回され前の割れ目を責め始めた。蒼香は喘いだ。もう、志貴の唇が触れるだけで乳首は固くなり、指で触られるだけで雌芯は濡れてしまう。月姫蒼香の身体は、遠野志貴の好みにすっかり染められていた。
「志貴の上に座るよ」
 肘掛の無い椅子なので、蒼香は志貴の腰に跨ることが出来た。浅ましくも、自分のオンナを指で広げながら、蒼香は志貴の上に跨り、そのオンナ一杯に志貴の剛直を受け入れた。狭い、少女の器官に、獰猛な男の器官がねじ込まれてゆく。
 はぁ――蒼香は悩ましい吐息をついた。蒼香が志貴の肩に手を回すと、志貴は蒼香の腰を抱いて、ゆっくり動き始めた。蒼香の雌芯を真下から貫き、またねじ込みながら、志貴は蒼香の可憐な乳首を吸った。志貴と愛し合うようになってもうじき半年。蒼香の器官は初々しいままだが、乳首は女らしく色づき始めている。志貴は舌を伸ばし、乳暈に唾液を塗りつけるようにして嘗め回した。小さな乳首は、志貴の舌先で、固く硬直している。志貴の舌が胸のつぼみを吸う度、蒼香の官能が募ってゆく。志貴の剛直が蒼香のオンナに打ち込まれる度、引き抜かれる度、卑猥な水音が生まれた。志貴のオトコは、袋に至るまで、蒼香の蜜に濡れている。
「あぁん、志貴ぃ、いいよぉ」
 蒼香は、目尻から早くも涙を零している。蒼香が顔をうつむけ、口付けを求めてきたのを敏感に察知した志貴は、顔をあお向け、蒼香と濃厚な口付けを交わした。唾液が蒼香の頤まで垂れ、胸にまで落ちる。
 志貴は、蒼香を一分の空きも無いくらい抱きしめたまま、ヒップを掴んで前後に揺さぶり始めた。蒼香のオンナも、そして蒼香と触れ合っている志貴の太腿も、蒼香の蜜で光っている。まるでバターを塗りつけたようだ。蒼香の女の匂いが満ちている。くちゅっ、くちゅっと、志貴と蒼香の立てる卑猥な音も。
「んっ――志貴、好きだよ」
 意識が飛ぶ寸前、蒼香は志貴の首にかじりついたまま、叫んだ。
「蒼香、俺も――」
 最後の瞬間、蒼香は志貴の唇をまた求めた。二人の舌が絡み合った瞬間、蒼香の中で志貴が弾けた。どくん、と志貴のオトコが脈動すると、蒼香の子宮口へと、熱くて濃い塊が叩きつけられた。
「志貴――あ、ん、志貴ぃ――」
 志貴に、後戯としてかき回されながら、蒼香はすがりついたまま、泣いた。それは、官能が限界を超えて極まったからだけではなかった。

 夏休みの前半は、やはり実家から逃げていたいらしい羽居と瀬尾晶とで、北海道を気ままに歩き回ることにした。電車の便が少ないこともあり、また基本的にのんびり屋の羽居が企画しただけに、余裕たっぷりのスケジュールだった。バス待ち、電車待ちで、一時間ほどもボーっとしているなどざらだった。
 なにせ女の子三人の道中だ。旅先の開放感から気楽にナンパしてくる輩が多いので、保護者役の蒼香は大忙しだ。羽居は人の良さでは世界でもトップテンに入りそうな娘だし、晶は現実世界の男に対して免疫が無い。本当に、こいつらは子供だ――志貴との恋愛を通して、一歩大人の階段を登った気分の蒼香は、密かにため息をついた。
 そんな些細な悩み事はあるものの、広くて涼しい北海道の大地を歩き回るのは、無闇に楽しかった。屈斜路湖で朝霧の押し寄せる様に歓声を上げ、富良野の稜線に沈む夕陽を言葉も無く見送る。得難い、楽しい時間だった。
「こんないい場所に、志貴さんと来たかったです」
 丘の上にシーツを広げ、次第に落ちてゆく夕陽を見送りながら、晶がポツリといった。
「あー、なんだー、晶ちゃん、秋葉ちゃんのお兄さんのこと、諦めてなかったんだー」
「あっ、いえ、そういう意味じゃなくて、純粋に志貴さんと来れてたらって――」
 晶の失言を、羽居は楽しそうにからかっている。きっと、晶の言葉はその通りなのだろう。なんの含みも無く、ただ志貴と居られたらいいなと思ったのだろう。でも自分は違う。蒼香は、志貴を男としてしか見ることが出来ない。ここで夕陽を一緒に眺めていられたらとは、蒼香も思う。でもその願いの裏には、ホテルに戻ってからベッドで繰り広げられるはずの、淫らな行為への期待もあるのだ。
 思えば、わたしは志貴のことを知らない――ふと、蒼香は思い返した。蒼香が知っているのは、志貴の男としての顔だ。志貴の男としての顔なら、蒼香は知り尽くしている。ベッドで凶暴なまでに蒼香を貪る志貴、蒼香の裸身の弱点を知り尽くしている志貴、蒼香の身体を楽器のように奏でる志貴。でも、秋葉の兄としての志貴、晶を可愛がっている志貴、羽居にまといつかれている志貴、学校の生徒としての志貴、屋敷でメイドたちにかしずかれている志貴――それらの志貴を、蒼香は断片的にしか知らないのだ。そして、なによりも――
 わたしは志貴の、本当の恋人を知らない――
 ずっと、頭から追い出して、考えないようにしてきた疑問を、とうとう蒼香は思い浮かべた。
 どうして志貴は、あんなにまで女の身体を熟知しているのか。そんなことは明白だった。蒼香と出会うまでに、他の女とたっぷり経験を積んでいたからに違いない。そして、今でも。
 志貴が、蒼香とのセックスの時、どうしてもたくさん射精してくれないことがあるのに、蒼香はずいぶん前に気づいていた。志貴は、おのれの欲求に任せ、蒼香の中で精力の滾るまま、何度でも果てることもある。しかし、まるでそれがひどく貴重なものでもあるかのように、慎重に、我慢に我慢を重ね、先に蒼香を何度もイカせてから、ようやく果てる日もあるのだ。最初は避妊の意味かと思ったのだが、蒼香が今日は危ないというと躊躇無く避妊具を使ってくれるから、それは違うのだろう。すると、考えられることは一つ。蒼香と会う前に、誰か別の女を抱き、しかもその時に散々に果てていたからだ。出そうにも出るものが乏しかったというわけなのだ。
 きっと、その女の方が、本当の恋人なのだろう。なんとなく、蒼香にはそう思えた。志貴の自分に対する態度からは、生涯の伴侶とするつもりは無いように思えた。蒼香が傷つかないように、言葉と態度を選んではいるが、志貴はそのことをそれとなく告げてきたように思う。
「――――」
 蒼香は、地平線すれすれにかかるオレンジ色の夕日を、ただじっと眺めていた。ふと、視界がぼやけてゆく。両頬を、熱いものが伝って行く。
 志貴、あんたの女は、わたし一人じゃないんだよな――蒼香に何度も、なに隠すことなく裸身をさらしてくれた志貴に、蒼香は心の中でささやいた。
 でもさ、それでもいいんだ。前に言ったよね、『わたしを捨ててもいい』って。――あれ、嘘なんだ。本当は、いつまでもずっと一緒に居て欲しいんだ。わたしを抱く男は、志貴以外には考えられないよ。志貴と別れるなんて、わたしには考えられないよ――
「蒼ちゃん」
 暖かい手が、胸が、蒼香を包み込んだ。羽居が、蒼香を抱きしめてくれたのだ。
「ごめん、羽居。また、泣いちまったよ……」
 いいんだよー、と羽居はおおらかに笑って、蒼香を包んでくれる。瀬尾が、心底驚いたような顔で、蒼香を見ている。でも、蒼香は気にならなかった。こんな自分を瀬尾にさらしてしまっても、別に構わない。
 わたしは弱くなってしまった――溢れる涙をこらえようともせずに、蒼香はしみじみと考えた。

 旅行最後の夜は、宗谷岬のユースで迎えた。シーズン中だから、色んな集団が居る。蒼香が志貴との逢瀬で常用しているホテルだって、この旅行で渡り歩いてきたホテルだって、このユースよりは豪華だったろう。だが、色んなところからやってきた行きずりの人たちとの会話は、蒼香には楽しいものだった。立派なホテルでは、これは味わえなかったろう。そして、かつての蒼香だったら、人との接触など疎ましいだけだったろう。
 それを変えたのが――と、蒼香は同宿の女性客と話し込んでいる羽居、晶、そして今は家族旅行中のはずの志貴と秋葉のことを思い浮かべた。羽居に包まれ、秋葉に手を差し伸べられ、そして志貴に女として愛される。そんな体験がなければ、蒼香はきっと世界に何も望まない、つまらない人間になっていたろう。
 蒼香は、富良野の丘で泣いたことを思い出した。敏感な晶は、蒼香と志貴の関係に気づき始めているようだ。遠野にはいうなと口止めしておかないと、と思った。
「はい、蒼香ちゃん」
 不意に横合いから冷たいものを押し付けられて、蒼香はひゃっ、と声をあげた。
「なんだよ羽居。あっ、チューハイ」
「蒼ちゃんも飲もうよー」
「っつか、お前さん、もう飲んでるな。止めろって、アルコールに凄く弱いくせに」
「あははー、きもちいいー。ぐー」
「――速攻で寝やがったな」
 隣では、晶が女性客を相手に、その陽気な酒豪振りを発揮していた。蒼香は、はあ、とため息をついた。どうも、自分が二人をベッドまで運び、保護してやらねばならないと悟ったからだ。
 窓を開けて空を見ると、最後の日に相応しい月が輝いていた。志貴も、秋葉も、この月を見ているのかな、と思った。

 羽居、晶との北海道旅行から帰ってきたのは、八月も最初の週のことだった。志貴が帰国するのは盆過ぎのことだ。それまで、蒼香は志貴の愛撫を恋い慕いながら、暮らすしかない。別に身体が疼くということも無い。あれは、志貴の手に込められた魔法の賜物なのだ、と蒼香は思っていた。
 なんとなく、三咲の街を歩くことが多い。どちらかというと、本来のホームグラウンドは、浅上女学院の近辺だ。だが、なんとなく志貴との思い出を探して、志貴の匂いを求めて、足が向いてしまう。ライブに行って一時を忘れることが出来ても、夕暮れ時にはどうにも寂しくなってしまう。志貴は今頃、秋葉や使用人たち、彼が家族として愛している人々と、楽しい時間を過ごしているのだろう。遠野に頼み込んで連れて行ってもらえばよかったかな、とすら考えた。だが、その為には、秋葉に志貴との関係を明らかにしなければならないだろう。それは気が引ける。別に、倫理的に問題があるわけではないのに、気が引ける。その時、なにか良くない事が起きる気がするのだ。
「まあ、ブラコンのあいつに分からせるには、ずいぶん時間が掛かるだろうな」
 志貴との待ち合わせに常用している公園で、なんとなく缶コーヒーを飲みながら、蒼香はそんなことを考えていた。――いや、蒼香は漠然と気づき始めていた。自分が自分を欺こうとしてきたことを。目の前の明らかな事実から、必死に目を逸らそうとしてきたことを――
「あら、月姫さん?」
 不意に、背後から声を掛けられた。えっ、と振り向くと、割烹着の娘が、買い物籠を提げてにこやかに立っていた。その顔に、見覚えはあった。
「えっと、翡翠さんだったか琥珀さんだったか」
「琥珀の方ですよ。憶えてくださってたんですねー」
 その娘が、遠野家の使用人で、志貴にすれば――家族同然だよ――と言っていたのを思い出した。
「あれ、琥珀さん。もう旅行から帰ってきたの?」
「はっ? いいえ、この夏は旅行に行ってませんけど」
「でもさ、南米に家族旅行だろう?」
「ええ、秋葉様と志貴さんとで行ってらっしゃいますよー。帰りは欧州経由で、遠野家が出資している現地事業を視察されるそうです。お帰りはお盆の直前になられますねー」
 そうなのか――蒼香の心に漣が立った。てっきり、家族旅行で、志貴が一家と旅行するのかと思っていたのだ。しかし、二人きりなのか。そういえば、志貴は 『秋葉と旅行』といってたな、と思い出した。それを蒼香は、勝手に家族旅行だと思い込んでいた。しかし実際には、二人きりでいったのか。ゴールデンウィークに、蒼香とそうしたように――
「ど、どうされました?」
 琥珀の慌てた声が、遠くに聞こえる。蒼香は頭を抱えていた。だめだ、気づいてはいけない。それに気づいてはいけない。蒼香の頭一杯に、なにか恐怖に近いものが満ちた。だめなんだ、それを直視してはいけないんだ――
「月姫さん、大丈夫ですか? 屋敷でお休みになりません?」
 顔を上げると、心配顔で蒼香を覗き込んでいる、琥珀と目が合った。
「具合が悪いのですね。やはり屋敷でお休みしてらっしゃいませ」
「あ、いや、わたしは、別に――」
「普段は秋葉様の送迎を担当されている運転手さんにお願いして、お車で来てるんです。さあ、こちらに」
 蒼香は、断る口実が見つからないうちに、近くで待機していた車まで引きずられていった。

 遠野の屋敷を訪れるのは、半年近くぶりだ。あの時、志貴になにがしかの悩みを共有してもらうようになって、それから程なく、男女の仲になったのだった。
「さあ、横になって、お休みになってくださいな」
 蒼香が連れてこられたのは、なんだか殺風景な一室だった。だが客室というには、妙に生活感がある。
「さ、お泊りになられても大丈夫ですからねー」
 琥珀にそうとまで言われると、蒼香も断りきれなくなってくる。
「でも、さっきはほんの一瞬のことで、単なる立ち眩みみたいなものだったんだ」
「まあそうおっしゃらず。心の悩みも、お休みになれば消えますからねー」
 琥珀の優しい口調に、蒼香はぎくりとした顔になった。
「あの――気づいてた?」
「はい、なんとなく」
 相変わらず、ニコニコしながら、琥珀はどこかずれた答えを返した。なにか言い返す気も失せて、蒼香はベッドに仰臥した。
 ふわっと、涼しい風が起こった。見ると、琥珀がうちわで扇いでくれているところだった。
「あの、琥珀さん。ここ冷房あるし、疲れるだろうから、いいよ」
「いえいえ、エアコンの風は当たりすぎると毒ですから。それに、こうして月姫さんを扇いでいるのは、わたしの趣味ですから」
「趣味かよ」
 蒼香は、仕方なく笑った。なんとなく、反撃する気になれない。
「そうだ、わたしのことは蒼香と呼んでくれよ。そっちの方が落ち着くし、遠野にも志貴にもそうしてもらってるんだから」
「遠野ですか? ああ、秋葉様のことですね。そうですか、ではわたしも蒼香ちゃんと呼ばせていただきますねー」
「ちゃんってのはあれだなあ。じゃあ逆に琥珀様と呼ばせていただこうかな」
 琥珀の目が、きらりと光った。好敵手を見つけた目だ。
「――ふっふー、なかなかやりますね。それでもわたしはよろしいのですが、お客様に対しては失礼ですから、やはり蒼香さんと呼ばせていただきますねー」
 なかなか一筋縄では行かない相手だな、と蒼香は感じた。
「それにしても、ははあ、やはり蒼香さんは、志貴さんの彼女さんだったんですねえ」
「なっ――なにいうんだよ」
「だって、以前お会いしたときには『志貴さん』で、今日は『志貴』でしょ。親密度バリバリにドアップ200パーセントですよー。そういうのをステディというんですねー」
 蒼香は、思わずうめいた。
「ふっふー、否定できないって、顔に書いてますよー」
「す、好きに取ってくれればいいよ」
 蒼香がそっぽを向くと、琥珀は鈴を転がすような声で、ころころと笑った。
「じゃあ、ごゆっくり。お食事の用意が出来たら、お呼びに参りますねー」
 蒼香がなにか反応するより早く、すばやく扉は閉じられた。
「ったく、遠野も志貴も、こんな使用人に傅かれてるんだな」
 ちょっと二人に同情してしまう、蒼香だった。

 食事は豪勢だった。これでも、使用人の賄いものに毛が生えたようなものだという。
「お泊りが事前に分かっていたら、秋葉様の普段のお食事も再現できたのですけどねー」と、琥珀はすまなそうに言う。
 遠野、お前さんは普段、なにを食ってるんだ――料理屋で軽く5千円コースに乗りそうな“賄いもの”を味わいつつ、蒼香は半分くらい呆れていた。
 食後にお茶。そして風呂を用意してくれた。
「秋葉様が普段お使いのものと、志貴さんがお使いのものと、どちらがよろしいですか?」
「琥珀さんたちが使ってるのでいいよ」
「むー、いけずですねー」
 蒼香が思うように動かないからか、琥珀は妙に不満そうな顔をする。
「では、わたしたちが使っている所へ案内いたします」
 そんな姉を放っておいて、翡翠が風呂場へと案内してくれた。
「えっ、なにこの着替え」
 翡翠は、ちゃんと下着の替えと、可愛らしいパジャマを用意していた。
「下着は秋葉様のものをお借りいたしました。他ならぬ月姫様のお泊まりゆえ、秋葉様もご承知くださるものと思います」
「パジャマは?」
「失礼ながら、サイズが似通っておりましたので、わたしのものを――」
 翡翠は、少し赤くなりながら、そういった。
 風呂から上がると、秋葉の下着を身に着けた。豪華な絹のレースで出来た下着だ。秋葉は、寮でも下着に気を配っていて、安っぽいものは決して身に着けなかった。
「これ一式で、わたしの下着コレクションの半分くらいは買えるんだろうな」
 心地よい超高級シルクの肌触りを楽しみながら、蒼香はブラを着けた。悲しいくらいにぴったりだった。胸周りは少し緩いかと思ったが、カップのサイズはぴったりだったのだ。
 レースの下着を身に着け、ふと姿見の前に立った。肩まである洗い髪の、ごく細身の少女が立っていた。風呂上りで、少し目つきがとろんとしているからか、普段の蒼香よりもよほど幼く見える。身にまとっている大人っぽい下着が、むしろ冒涜のように映る。
 だが、ちょっと目つきを変え、志貴を誘う時のように、腰に手を置いてポーズを作ると、突然鏡の中に女が出現した。
「わたしは変わった――」
 洗い髪を肩に回し、蒼香はポーズを変えながら、つぶやいた。大人になった。志貴に愛し合うことを教えられて、一つ大人への階を登ったのだ。いや、そんな蒼香よりも大人なのは、こんな男の視線を計算したような下着を常用している、秋葉の方ではないのか。
 あてがわれた部屋に戻り、窓を開けて夜風を呼んでいると、水差しを持って翡翠がやってきた。
「なあ、翡翠さん。この部屋、志貴のなんだろう?」
 なんとなくそう思えて、翡翠に聞いてみた。
「はい。失礼ながら、そうするのが正解だと姉さんが強硬に主張したので、志貴様のお部屋にお通しいたしました」
 やはりそうだったのかと思った。なにか、嗅ぎ慣れた匂いがすると思っていたのだ。
「それにしても、なんにもない部屋だな」
「志貴様は、物欲はほとんどお持ちでないですから」
「そうなんだ」
 蒼香は、豪華といえば豪華だが、持ち主の色をまるで感じられない部屋を眺め回した。蒼香は、そんな普段の志貴を知らない。自分とライブに付き合ってくれて、その後で抱いてくれる、そんな志貴しか知らない。
 蒼香は、志貴の匂いがするベッドに寝転がると、質素だが手の込んだ装飾の施された天井を眺めた。その間、翡翠は部屋の一角で、じっと待っている。
「翡翠さん――」
「はい」
「あの、翡翠さんは、わたしのことを知ってるんだな」
 言葉に裏の意味を含ませながら、蒼香は聞いてみた。
「――はい。存じていると思います。志貴様と恋仲なのだと」
「どうして気づいた?」
「姉さんが申すには、志貴様と手をつながれて、仲睦まじくホテルに入られるところを、何度も目撃したとか」
 見られてたのか――蒼香は思わず目を閉じた。
「それと、志貴さまの行動に不審な点が多すぎました。一時、週末には必ず朝帰りされていたかと思えば、今度は木曜ごとに朝帰りと。しかも秋葉様にはいわないようにと、今までに無くしつこく口止めされましたし」
 淡々と語る翡翠ではあったが、その口調には、なぜか怒りが感じられた。思わず、蒼香は首をすくめた。その朝帰りの原因は、蒼香なのだし。
「うん、ご想像の通りなんだ。ごめん、半分はわたしのせいだ」
 蒼香は、がばっと起き上がると、翡翠に向き合った。
「それで、翡翠さんに聞きたいんだけどさ」
「はい」
「翡翠さんも、志貴のことが好きなんだな」
「――」
 翡翠は、不意に視線を逸らした。伏した目元に、朱がわずかに差す。
「はい――男性として、愛しております」
「そうなんだ。じゃあ、志貴に抱かれてるんだな?」
「いいえ、志貴様に抱いていただいたことはありません。わたしも姉さんも、志貴さまに懸想しております。でも、志貴さまに女として見られたことはございません」どこか声を落としながら、翡翠は答えてくれた。
 期待が外れて、蒼香は思わず肩を落とした。もしかしたら、志貴が抱いているのは使用人姉妹の方では無いかと思ったのだ。もしそうなら、蒼香が迷うことは無い。正々堂々、志貴を巡って争うだけだ。だが、そうでもないとなると――
 途方に暮れた。立ち上がり、窓際に立って、暗い星空に目をやった。星は、蒼香の心など知らぬという風に、美しく瞬いている。なんとか勇気を搾り出すと、振り向いて、再び翡翠に問うた。
「じゃあ、志貴に抱かれているのは、遠野――秋葉なんだな」
「はい、ご想像の通りです」
 それだけは聞きたくなかった答えだった。
「そう、か――」
 蒼香は、ベッドに座り込んだ。翡翠は、蒼香の側に寄ってくると、失礼します、と一礼して、椅子に腰掛けた。目線を合わす意味だろう。
「そうなんだ。遠野が、志貴と、か」
 なにか途方に暮れる気分だった。
「軽蔑なさいますか、お二人を?」
「兄妹だからって意味か。いや、全然。たとえ血のつながりがあっても、恋に落ちるときは落ちるだろう」
 ただ、な――蒼香は胸の中でつぶやいた。遠野は、わたしの大親友なんだよ――と。
「――お二人は、血のつながりがございません。志貴さまは、当家が貰い受けた養子なのだそうです」
「そういえば、あまり似てないもんな、あいつら」
「お二人が恋に落ちられたのは、去年のことです。詳細を口にするのは憚られますが、とある事件を通じて、お二人は一つの命を分かつようにして生きる仲になられたのです。とても、余人の立ち入る隙などないような」
 蒼香は、二人が一緒に居るところを見たことが無い。しかし、いつだって秋葉は兄のことを気に掛けていたし、志貴は妹の気持ちを傷つけたくなくて、つまらない秘密を必死に守ってきたのだ。
「――しかしながら、月姫さまは、そのようなお二人の事情など与り知らぬことでしょうから、ご自分の思うままに志貴様を求められたら良いかと存じます」
「そうだな」
 蒼香はうなずいた。そのつもりだった。求めて奪う相手が、他ならぬ秋葉だと知るまでは。
 翡翠が退出して、夜が更けていっても、蒼香に眠りは訪れなかった。窓を開けて、夜空を見ながら、地球の反対側に居るはずの二人のことを、ずっと考え続けていた。

 盆が開けた。ほどなく、待ち合わせの公園で手を繋いで歩く、志貴と蒼香の姿が見られるようになった。二人は、前と変わらずに待ち合わせ、ライブを見て、それからホテルで愛し合った。久しぶりの逢瀬だからだろう、志貴が頑張ったこともあり、その夜はひどく燃えた。部屋に入るなり、志貴は蒼香の身体を愛撫し始め、蒼香は口で志貴のオトコに奉仕した。服を脱がないで愛し合い、それからは狂ったように貪りあった。だが、蒼香は少し口数が減って、志貴に貪られている間、なにかを考えている風であった。
 三日後、そういえば泳ぎに行ってない――という志貴の思いつきで、二人は少し離れたプールへと出かけた。連れて行かれたのは市営のプールだった。不便な場所にあり、また知名度が低いので、入場者は驚くほど少なかった。それも、子供用の浅いプールに集中していて、そこから離れた競泳用プールには、誰一人寄り付いていない。
「な、穴場だろう?」
 プールサイドで、日焼け止めをたっぷりと塗りながら、志貴は得意げにいった。有彦という友人から仕入れた情報だという。こういう穴場情報を驚くほど持っているらしい。
「ここまで客が居ないと清々しいな」
 陽光を浴びながら、蒼香も日焼け止めを擦り込んでいる。どうせならビキニでも、と思っていたのだが、もう夏も終わりだからと思い直し、学校で使っている競泳用水着を着ていた。
「――それにしても、大胆だ」
 志貴は、蒼香の水着姿を、目を細めて眺めた。学校用の水着というと、身体の線を極限まで隠蔽しようという意図のものが多い。だがこの水着は、生地が薄いのでニプレス無しでは乳首の形がはっきり分かり、レッグのカットが大胆なので足からヒップ、さらには鼠径部の線までが露になってしまう。男を欲情させるためにあるのか、といいたくなるほどだ。だが、周りは百パーセント同性で、しかも寮の共同生活であられもない姿を見せ合っている連中だ。欲情などしようが無い。しかし、実際に男の目に晒せば、凄い効果があるのだと蒼香は知った。例えば、目の前の男。
「ばか、じろじろ見るな」
 蒼香は、思わず身体を手で覆った。志貴には身体の隅々まで、ありとあらゆる恥ずかしいポーズを見られているのに。
「まあ、これで胸のある女だったら、志貴は勃起じゃすまないだろうけどな」
 蒼香は悪戯っぽくいうと、指先で志貴のボクサーパンツの前を弾いた。ぱちん、と、いい音がした。
「いてて、ひどいな」
「こんなお天道様の真下で、こんな貧弱な身体に勃起させてるからだよ」
「蒼香の身体がどんなに綺麗か、俺が後何回口にしたらわかってもらえる?」
 志貴の手が、蒼香の腰に回されかけた。と、蒼香はするりと抜け出すと、軽やかにプールへと飛び込んだ。志貴も続く。
 競泳用の五十メートルプールは、二人の独擅場になっていた。蒼香は、軽やかな泳ぎで志貴を離そうとするが、志貴は意外に力強いストライプで追いつく。じゃれ合いながら水に沈み、浮いてきた時、二人はプールの真ん中で口づけを交わしていた。蒼香の手が、志貴の胸を撫でる。志貴の手が、蒼香の腰に回される。舌こそ絡ませなかったが、互いの唾液を混ぜ、飲み合うようなキスをたっぷりと続けた。上気した目と目をあわせながら、唇が離れる。と、さすがに周囲が心配になった。慌てて見回すと、入場者の多い子供用プールの監視員の背中が、高くぽつんと見えるだけで、後は金網の向こうに仕切られていて良く見えない。金網には掲示板や注意書きが貼られていたから、こちらが見えるわけが無いのだ。
「なんだか興奮するね」
 蒼香は正直に言った。
「ここでする?」
 志貴は悪戯っぽくいった。
「ううん、やめておくよ。水が汚れるし、さすがに人倫にもとるし」
 蒼香がそう答えると、志貴は笑いながら離してくれた。
 それから、二人だけでプールを何往復かした。まじめにタイムまで取って。
 プールから出て、屋根つきプールサイドに逃れた。真っ青な空からは、なにか悪意すら感じる日光が照り付けている。肌を焼きたい訳でもないので、二人は暑ければプールに飛び込み、疲れたら上がりと、気ままに繰り返した。
 蒼香が持ってきた、冷たいお茶の入った魔法瓶を回し飲みする。喉を冷たいものが落ちてゆくのが快感だ。
「志貴、南米はどうだったんだ」
 プールを何往復かして、長い休憩を取っていた時、蒼香は志貴に聞いてみた。
「ああ、面白かった。なにせ、あっちは冬だからな。真昼間からスキー三昧だったよ」
 志貴は、本当に楽しかったのだろう、にこにこと笑みを浮かべている。
 でも、夜には秋葉を抱いていたんだろう、と蒼香は思った。不思議に嫉妬は無い。むしろ、あの秋葉が志貴に抱かれている様は、どんなにか美しいのだろうと思った。
「終いには飛行機で南極まで行ってきたよ」
「相変わらずのお大尽ぶりだな」
 はしゃぎまわる秋葉の姿が目に浮かんで、蒼香は思わず笑った。
「蒼香の方は、北海道は楽しかったかい?」
「ああ。羽居はまるで役に立たなかったけど、瀬尾が事前に見所を洗い出していてくれてね。ほとんど網羅したと思う」
「そうか。俺は逆に北海道に行ったことが無いから、うらやましいよ。いつか、一緒に行こうな。今年のゴールデンウィークのときみたいに」
「ああ、いいね」
 志貴は、蒼香の身体を背後から抱いてくれた。蒼香は、志貴の意外に広い胸に、身を任せてしまう。無言の時間が流れる。だが、蒼香は志貴の欲求を感じていた。というのも、蒼香の尻の辺りに、志貴の硬さが感じられるからだ。ボクサーパンツ、さらにはサポーター越しなのに、志貴のそれはむくむくと大きくなっているのが感じられた。
 わたしの身体に欲情してくれてるんだね、志貴――蒼香は、胸に、そしてそのオンナに、期待が満ちてゆくのがわかった。志貴は蒼香に隠し事をしているけれど、志貴のオトコは正直だ。
「やっぱり、ここでする?」
 志貴が耳元で囁いてくれる。蒼香は、こくんとうなずいた。やはり、志貴のが欲しい。
 志貴は、水着の上から、蒼香の胸を触り始めた。こんなささやかな胸なんだし、とばかりに、蒼香はわざとニプレスを使わなかった。未成熟な乳首は、普段なら目立たない。だが、志貴に愛撫され始めると、たちまちそれは硬くなってゆく。
 手を後ろに回し、志貴のに触った。布地越しなのに、その硬さははっきり分かった。それを、自分の器官に打ち込まれることを考えると、蒼香はそれだけで潤い始めるのを感じた。
「志貴――」
「ん?」
「今日も、いっぱい中に出してくれよな」
 顔を赤らめながら、そうねだると、一瞬だけ志貴の愛撫が止まった。
「ああ、分かってる」
 愛撫を再開しながら、志貴は言った。
「蒼香の子宮がパンパンになるまで、出しまくってやる」
 蒼香の手の中で、志貴の肉茎は、もう弾けそうなくらいカチカチになっていた。
 志貴の右手が、蒼香の鼠径部に回った。左手で、水着越しにくっきり分かるくらい硬くなった乳首を愛撫し、右手は水着の股から、蒼香の性器へと指を滑り込ませた。ヘアをゆっくりと撫で上げる。蒼香のヘアはごく薄い。手入れしなくても、この猥褻な水着に収まるくらいだ。当然濡れているのだが、志貴がさらに指を滑らせて行くと、蒼香の白桃から、それとは違うぬめりを感じ取ったはずだ。指が、蒼香の白桃をなぞる。
「あんまり引っ張るなよ」
 志貴の手が水着の股をずらすのを感じて、蒼香は注意した。
「すぐ伸びちゃうんだからさ」
「少しずらすだけなら大丈夫だろう?」
 志貴は、水着の股を横にずらしてしまった。蒼香のオンナが、陽光の下にさらされる。つやつやと真っ白な恥丘は、まさに白桃のようで、汚れのない少女のそれだ。だが、志貴の指が蒼香の白桃を割ると、サーモンピンクに色づいた、蒼香のオンナがさらけ出される。とろりと、水とは明らかに違う液体が、陰唇からこぼれ落ちた。志貴に触られるだけで感じ始めている。蒼香は、もう欲求に上気した顔をしている。それは志貴も同じだが。
「んぁっ――」
 志貴に耳の後ろを舐められて、蒼香は思わず声を出した。志貴の舌が、蒼香のうなじから首筋へと這い回る。蒼香の白い肌に唾液の跡が付く度、華奢な身体がビクッと跳ねる。
 志貴の左手も働いている。蒼香の水着の脇から手を差し入れると、乳房を直接愛撫し始めたのだ。水に濡れ、艶やかな蒼香の乳房を、志貴はやさしく揉みしだく。少女らしい可憐な乳首を指に挟むと、志貴は蒼香の乳暈を指先で愛撫した。乳首を責められるのとは違う快感が、蒼香の雌芯をうずかせる。乳首をキュッと摘まれると、甘いうずきに、性器に滴る蜜が溢れた。
「早く、早くちょうだいよぉ」
 蒼香は、肩越しに志貴を振り向いて、あられもなくねだった。わたしは、いつからこんな浅ましい女になったんだろう。蒼香は、頭のどこかでそんなことも考えていた。
 志貴は、蒼香のおねだりには弱い。
「ああ、はめてやるから」
 志貴は、蒼香の可憐な肢体を持ち上げると、自分に向かせた。M字型に開脚させると、ボクサーパンツをずらし、剛直を取り出した。あぐらをかくと、蒼香の露になっているオンナににじり寄った。蒼香は、指先で導いた。先端が蒼香の雌芯を潜ると、志貴は蒼香をそのまま抱き寄せた。
「は、ぁ――」
 志貴の硬さ、熱さを雌芯に感じた蒼香は、甘いため息を吐いた。体位的に近寄りきれないが、蒼香の器官の方が、志貴のものよりずっと小さいので、それでも十分に奥まで届いている。
 志貴は、そのまま、ゆっくり、ゆっくりと律動する。蒼香に対してピストン運動するのが難しい体位だ。だが、そのゆっくりした律動が、蒼香をかえって燃え立たせた。
「志貴、志貴……志貴ぃ――」
 腰を突き出したまま、目を閉じて、志貴のオトコをじっくり味わうように、蒼香は眉間にしわを寄せている。蒼香は、膣口を割る志貴の亀頭を、抉るエラを、そして膣壁を擦る棹を、敏感に感じていた。志貴の剛直が、鼓動に合わせて脈動するのさえ分かった。
 ゆっくりと、しかし着実に上り詰めて行く。こんなときは、上り詰める頂点も高くなるものだ。蒼香は、自分の器官から生まれる淫らな粘液質の音に、さらにさらに昂ぶっていった。
 蒼香の口からは、頭上の太陽に向けて、淫らで可愛らしいよがり声が発せられ続けている。志貴も眉間にしわを寄せ、射精衝動を必死にこらえていた。
 二人の身体から汗が滴り、蒼香の愛液と入り交じってコンクリートを濡らして行く。
 ついに、蒼香の愛液に、もっと白濁したどろりとした液体が混じり始めた。志貴のオトコから、たまらず先走りがあふれ始めたのだ。ぬらぬらとした先走りが、蒼香の膣の中で、蒼香の蜜とかき混ぜられる。いやらしい混合物が、蒼香の割れ目から垂れ落ちて行く。
「志貴――あーっ、志貴っ!」
 蒼香の体が、びくんと痙攣した。膣口が激しく窄まり、志貴のオトコに絡みついた。
「蒼香――くぅっ」
 たまらず、射精した。どくん、と熱い塊が、蒼香の子宮口を叩く。志貴のペニスの脈動を、蒼香は絶頂に達しながら感じた。ペニスが脈動する度、志貴の熱いものが、蒼香の膣奥から溢れてくる。
 蒼香が倒れかかるのを、両手で抱き締めてやりながら、志貴は括約筋を強く締め、最後の一滴を蒼香の中に垂らしたのだった。

「じゃあ、ね」
 二人が別れたのは、まだ宵の口の繁華街でだった。プールサイドで、もう一回睦み合い、日暮れ時に三咲まで戻り、おなじみのホテルで愛し合ったのだった。
 今日の志貴は激しかった。プールサイドで蒼香の中で二回放った後、ホテルでも五回も中に出してくれた。志貴の言った通り、蒼香の子宮が一杯になるくらいに。ホテルを出る前、シャワールームで膣から精液を掻き出した時、そのあまりの多さに呆れたくらいだった。本当に、子宮まで一杯になったんじゃないかと思うくらい。
「今度はいつ会える?」
 別れ際、蒼香は志貴と指を絡ませながら、そう訊ねた。
「そうだな。明々後日くらいはどう? その頃に、秋葉は一族の行事で家を空けるんだ」
「わたしはいいけど――たまには遠野にも付き合ってやれよ。一人で一族の行事に行かせるなんて」
「そういう行事には、俺はお呼びじゃなくてな。俺は、この一族ではどうでもいい存在なんだ。秋葉だけが頼りでさ」
 そう答えた志貴の顔は、微妙に寂しそうだった。本当は付き添ってやりたいんだな、蒼香はそう感じた。
「じゃ、俺から電話するから」
 二人は、軽く口づけを交わすと、さっさと互いに背を向けて歩き出した。蒼香は駅に、志貴は屋敷へと向かうのだ。
 一街区歩き、ふとさっきのスケジュールを記録しようと思った。トートバッグからメモ帳を出そうとして、振り向いた。さっき別れた場所から少し離れたところに、志貴はまだ居た。ちょうどその近くに、見覚えのあるリムジンが滑り込むところだった。志貴が、おやっとばかりに振り向くと、リムジンからすらりとした姿が降り立った。秋葉だった。帰り道にたまたま兄の姿を見つけたというところだろう。危なかった。後数分早かったら、蒼香と口づけしているところを見られていたかもしれない。
 秋葉が志貴に近寄ると、志貴は秋葉を抱きしめてやったようだ。いかにも仲の良い兄妹だ――いや、あまりにも仲が良すぎる。
 秋葉は、車の方を向いて何か指示を与えていたようだった。すぐに車は走り出し、去っていった。志貴は、秋葉を腕にぶら下げたまま、屋敷とは違う方向に歩き出した。さすがにホテルの方ではなかったが、屋敷に戻るまでに寄り道しようということなのだろう。腕を絡め合って歩く二人は、親密な恋人同士にしか見えなかった。そう、ほんの数分前まで、志貴と蒼香がそうであったように。
「――」
 なにか、胸に迫るものを感じて。蒼香は思わず見送ってしまった。意外にも、嫉妬はまるで無かった。お二人は一つの命を分かつようにして生きる仲になられたのです――翡翠の言葉を思い出した。確かにその通りなんだろうな、とも思った。二人の背中からは、余人の立ち入る隙の無さそうな、尋常でない絆がうかがえた。
 蒼香は、二人の姿が、人込みに消えるまで見送った。再び歩き出した蒼香の胸には、形容しがたい靄がかかっていた。苦しい。なぜだか、胸が張り裂けそうだった。

 夏休みが終わり、二学期が始まった。インターンはこの学期から始まるわけだが、前半は生徒が受け入れ側の説明会に出かけたりする関係で、ほとんど動きが無い。十一月から本格的に動き出す。
「で、蒼香はどうするの?」
 浅上の校舎を歩きながら、秋葉にそう聞かれたのは、インターン制度に関する説明会を終えた帰り道でだった。
「ああ、どうしようかな。遠野みたいに看護婦でもいいかなと思う」
「――私の話、検討してくれた?」
「遠野の? ああ、遠野の会社で先輩方に可愛がられろって奴か」
「ええ。まだ学校側には提示してないの。蒼香がその気なら、その時に出そうかって」
「えっ」
 驚いた。てっきり、そういう話が別にあって、蒼香に紹介してくれたのかと思ったのだ。
「なんだよ、あの話、わたしのために用意してくれてたのか」
「だって、蒼香――」
 秋葉は、なにか言い難そうに声を低めた。
「お家のことがあるんでしょう。いつまた蒸し返されるか、分かったものではないでしょう」
 そういえば、と思い出した。秋葉には、あの話は蹴った、としか説明してないのだ。それ以上の説明はしてない。いまさら『お前さんのお兄さんと恋仲になったからって、見合いは蹴った』などと言えるわけでもない。
「まあ、そうだけどさ。それはわたしがなんとかするから」
「そもそも、自力で何とかなる問題ではなかったんでしょう?」
 そう問い返す秋葉の真剣な目に、なにかひやりとする疑問を覚えた。そもそも秋葉は、蒼香の家庭事情をどれほど掴んでいるのだろう。そして、本当に蒼香と志貴の仲を知らないのだろうか――
「まあ、乗り気じゃないのなら仕方ないけど」
 秋葉はスッと離れた。
「でも、本当に検討しておいてね」
 なぜかしつこい位に言い置いて、秋葉はさっさと歩き出した。

 夏休み終盤には、まるで駆け込むようにして、志貴と蒼香は頻繁に愛し合った。ほとんどの場合、蒼香が求めたからだった。なにかに急かされるようにして、蒼香は志貴に愛を求めた。頻繁に朝帰りもした。志貴はさすがに『秋葉が怒るから』と難色を示したが、蒼香はねだって何度も引き止めたものだった。そのせいか、翌朝にホテルから出るときには、志貴は青い顔をしていることが多かった。こんなに激しく朝帰りしてしまったら、遠野はなんて思うんだろうなと、蒼香も後悔した。
 二学期が始まると、一転して会う機会が減った。秋葉が頻繁に屋敷に戻るようになったからだ。どうやら、遠野家の事業の関係で、頻繁に企業に顔を出さなければならない状況らしい。そんな日には、志貴も秋葉を可愛がってやっているのだろう。
「今日も遠野は居ないか――」
 まだまだ蒸し暑い夜、夜風に当たりたくて、蒼香は寮の庭に出ていた。団扇を手に、綺麗に草を刈られた庭を歩く。木立に向いたベンチに腰掛けると、蒼香は団扇で涼を取りながら、ボーっと夜空を見上げていた。
 自分が起こす微かな風が、蒼香の髪を揺らす。ふと思い立って、片手で髪をつかみ、昔そうしていたように後ろでまとめてみた。昔はうなじを刈り上げていたので、こうまとめてしまうと印象がガラリと変わったものだ。しかし、志貴に下ろした髪を褒められてから、刈り上げることはなくなってしまった。こうしても、ただのポニーテールもどきだ。
「遠野も、一時は髪が短かったんだよなあ」と、蒼香は思い返した。
 今年の年明け頃、秋葉とクラス委員の四条つかさとの間で、なにか深刻なトラブルがあったらしい。一度、秋葉が屋上から転落するという事故があり、次いでつかさが深刻なむち打ち症で入院するという事件があった。関係者――といっても二人きりだが――がまったく口を割らず、また秋葉がすばやく緘口令を敷いた結果、この事件は『なんとなく謎の事件』という感じで忘れられてしまった。もっとも、復帰したつかさが、前以上に秋葉を気にするようになったことから、なにか暗闘があったのは間違いないのだろう。
 ところが、この一件の後、秋葉は髪を少し短くしたのだ。妙に中途半端なので、それとなく聞いてみると、間違えて髪の一部を短く切ってしまったので、調整したという。事件との関係を疑うのは、簡単なことだった。
 思えば、この前後から、秋葉の表情は、見違えるように明るく、女らしくなった。以前から、秋葉は女らしかった。鉄の女などとも呼ばれていたけれど、裏を返せば鉄ではあっても女らしかったのだ。それが、まるで恋する娘のように、明るく、軽やかになっていった。そう、春先から今までの蒼香のように。きっとその頃に、志貴と秋葉の仲が進展したのだろう。
「わたしも遠野も、志貴に変えられてしまったんだな」
 つくづくそう思う。蒼香は志貴にすっかり変えられてしまった。志貴に出会う前、蒼香は自分が女だなんて考えなかった。なにか余計な器官がついているだけ。自分は中性的な存在だと考えたかった。母を縛り付け、自分をも呪縛しようとする女が疎ましかった。でも今は、志貴に女の悦びを教えられてしまっている。志貴とめぐり合わせ、セックスの悦びをもたらしてくれた、自分の女に感謝している。でも――
 どうすればいい――
 蒼香は、風に問いを流した。どうすればいいのだ。蒼香は志貴が好きだ。女として、月姫蒼香には、遠野志貴以外の男など考えもよらない。そして、志貴の居ない世界なんて、考えられない。
 でも、蒼香は秋葉のことも好きだ。親友として、月姫蒼香は、遠野秋葉にずっと側に居て欲しい。秋葉の居ない世界など、なんてつまらないのだろう。
 しかし、その遠野秋葉が愛しているのは、他ならぬ遠野志貴なのだ。蒼香が志貴を奪ってしまったら、秋葉は――
「どうすればいいんだ――」
 蒼香は、呆然とする思いだった。自分だけが身を引けばいい。それで全てが丸く収まるのだ。でも、そうするには、蒼香は志貴を愛しすぎていた。もう、身体の隅々までに、志貴の愛撫が染み付いているのだ。志貴に二度と抱かれることが出来ないなんて、考えただけで気が狂いそうだ。
「どうすれば、いいん、だ――」
 夜空を見つめる。視界が、ぼやけていった。その蒼香の手に、涙がぽつりと落ちた。

「ふうん、インターンか」
「ああ、どうしようか、迷っててね」
「看護婦さんもいいんじゃないか」
「ふふふ、わたしも遠野の看護婦姿を見てみたいよ」
 そんなことを志貴と話したのは、夏休みの余韻もようやく薄れた九月半ばのことだった。待ち合わせの場所で、他愛のない事を話した跡、例によってライブで汗を流し、その後はホテルで愛し合った。今日はやたら汗が気になったので、まずシャワーを浴びながら愛し合い、濡れた身体も拭わないまま、ベッドでセックスした。
「志貴、もっともっと、ちょうだい。志貴のでわたしのをかき回して!」
 激しく愛し合いながらも、蒼香はもっと志貴を求めた。
「蒼香、いくらでもはめてやる。蒼香が変になるまで、俺ので泣き喚かしてやる」
 志貴は蒼香を激しく責めたてた。蒼香は、志貴のなすがまま、何度も失神するほどまで絶頂に達した。だが――
 我に返ると、蒼香はベッドの上に仰臥していた。既に汗は退いている。ベッドは二人の営みの匂いに満ちていた。シーツは汗と涙、そして体液を吸って、じっとりと重くなっている。だけど――
 志貴が達したのは、三回くらいか――
 蒼香は、志貴が射精をずっと堪え、蒼香を何度もイカせることに専念していたのに気づいていた。ということは、たぶん、志貴は精嚢の蓄えに乏しかったのだろう。それがなぜかは分かる。だって、昨日は、秋葉が屋敷に戻っていたのだから。
 屋敷で、志貴と秋葉は、蒼香自身が体験したような、激しい行為に耽っていたのだろう。男の精嚢は、三日分は蓄えられるらしい。逆にいえば、翌日の段階では完全には回復しないのだ。あんな、日に二桁も放つような行為の後では。
「――」
 目を横にやると、蒼香の横で、こちらに背を向けて眠りこける、志貴の背中が目に入った。疲れ切りました、と背中に書いてあった。
 志貴、あんたは、本当にいい男だよ――蒼香は、志貴の背中に、心の中で語りかけた。二人の恋人の間を、それぞれが満足するように掛け持ち、そして存在を気づかせないように気を遣う。それはそれは、大変な苦労があったろう。浮気には間違いないにしても、ここまで涙ぐましい努力をして、しかもきっちり満足させてくれる志貴には、憎む気持ちは起きなかった。
 でも、遠野はどうなんだ――それが、蒼香の心に影を落としている。秋葉はとても独占欲が強い女だと蒼香は思う。もしも蒼香との浮気を知ったなら、怒り狂って怒鳴り込んでくるに違いない。だが、秋葉はそんな素振りを見せたことが無い。気づいてないのだろうか。
 だが――使用人すら蒼香と志貴の仲を知っているのだ。秋葉に勘づかれなかったというのは、どうにも信じられないのだ。もしも秋葉が知っているのだとすれば、いったい、どんな気持ちで、二人のことを見ていたのだろう。秋葉が寄せてくれる信頼に揺るぎが無いだけに、どうにも腑に落ちないのだ。
 聞いてみるか、と思った。告白するのだ。志貴と寝てます、と。だが、もしもその時に秋葉との友情が壊れてしまったら――
 それは――とてもとても怖い。秋葉を、蒼香の小さな世界から失うなんて。そんなことは考えられなかった。秋葉の居ない世界なんて、どれほどつまらないのだろう。まるで、半身を失ったように感じるに違いない。
「――うん……」
 蒼香は、なにかを感じて、顔を拭った。やはり蒼香は、気づかないうちに泣き出していた。涙が、頬を伝っている。
 ああ、と蒼香は、涙に霞む天井を見上げた。秋葉を失ってしまうのは怖い。でも、このまま黙っているのは、秋葉の信頼に応えることとはいえないのではないか。どうすればいいのだろう、わたしは。こんなことを相談できる相手は、その秋葉しか居ないのに――
 しばらく、天井を見つめていたが、どうにも答えが出なかった。ため息をつきながら、蒼香は志貴の背中に目を向けた。もう一回、せがんでいいかなと思ったのだ。志貴に抱かれている間だけは、どんな嫌なことも忘れられる。
 ふと、志貴の肩口に、なにかの影のようなものを見つけた。
「――――」
 なにかの予感があった。蒼香は、フットライトを点けると、その影を良く見つめた。その正体に気づいた蒼香は、思わず唸り声を出した。
 それは――志貴の背中につけられた、誰かのキスマークだった。


<続く>

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