東方月探譚 - 6



「この神社にまともにお賽銭があったの、本当に久しぶりだわ……」



 一刻後、秋葉たちは暗い森の中を歩き回っていました。ただし、秋葉たちの意思ではありません。先に立つのは、さきほど現れた“妖怪”、八雲紫です。秋葉たちは、この妖怪に引き回されるようにして、森の中を彷徨っているのです。
「いったい、どこに連れて行くつもりなんだ」
「“幻想郷”なんでしょうけど――ぐるぐる回っているだけね」
 秋葉と蒼香はひそひそと耳打ちしあいます。この一団、既に小一時間も森の中をうろついていました。見たところ、これという筋も無く、時々神社の境内に戻っては、また森に入ることを繰り返しているだけです。
 秋葉と蒼香の前には、みんなを導いている紫と魔理沙が、肩を並べて世間話をしながら歩いています。後ろには羽居と晶が着いています。が、一番体力に欠ける二人、そろそろ音を上げかけています。
「ねーねー、ゆかりん、まだ着かないのー?」
 羽居は本当にしんどそうです。羽居は家事内職向きの体力はあるのですが、こうしてアウトドアな活動では一番のお荷物になりがちです。中学生の晶もめげ始めています。
「ごめんなさいね、羽ピンちゃん。あなたたちがなかなか諦めてくれないから、どうしても幻想郷に入れないのよ」
 紫は、本当に申し訳なさそうに答えます。紫は、羽居にも一目置いているようです。そういえば、魔理沙が羽居を連れて来た時、紫は羽居を一目見るなり、おやっ、とばかりに目を見開いていたのが気に掛かります。
「えー、諦めるなんてひどいよー。幻想郷に連れてってくれるんじゃないのー?」
 羽居は落胆します。
「そういうことじゃないの。あなたたちがお家のことを考えちゃうから、なかなか幻想郷の扉を開けられないのよ」
「どういうことですか?」
 なにか理由があると感じた秋葉が、紫に尋ねます。
「幻想郷に入るには、その存在を信じること、あるいは逆にこの世の存在を疑うこと、そしてこの世に執着が無いことが必須なの。あなたたちは、幻想郷の存在は大体信じているようだけど、どうにもこの世への執着が強いようね」
「じゃあ、四の五の言わず、ゆかりんが隙間を開いて、みんなをとっとと連れ込めばいいじゃないか」
と、魔理沙がもっともなことを言います。
「そうするとね、精神的な衝撃というのかしら、そういうものが強すぎて、ふつうの人間では心が折れてしまうものなのよ」
 その答えに、魔理沙もうーんと考え込みます。が、秋葉は今の紫の言葉に、一つピンと来るものがありました。
「ねえ、明日から三連休よね。みんな予定があったの?」
「わたし、お部屋でゴロゴロしてるだけだよー」
「あたしは暇すぎたらライブ見に行こうかなー、ってくらいでさ」
「わたしは、実家に帰ってちょっと用事を……」
 三者三様の答えに、秋葉は大きくうなずきます。
「じゃあ、問題は瀬尾だけね」
 秋葉は携帯電話を取り出すと、自宅にかけました。
「琥珀? 私よ。悪いけど、明日から三日間の予定を、一度白紙に戻して。そう、兄さんにも申し訳ないけれど。――ええ、ちょっとした事情があってね。――心配しないで、別に危ないことをしてるわけじゃないんだから」
 秋葉は、この三連休に志貴にも時間を空けてもらって、自宅でのんびりするつもりでした。久しぶりにまとまった休みを取れるのですから、秋葉が自宅に――ひいてはこの世に執着するのも当然です。事実、森の中を歩き回りながらも、心は時折、明日からの休みのことに捉われていたのですから。が、ここに至っては、そういうわけにも行きません。秋葉は背水の陣を敷くつもりで、断りの電話を入れたのです。
「そう。聞かないでくれると嬉しいわ。後で話すわね。兄さんにも、心配しないように言いくるめておいて。――そうそう、もう一つよ。瀬尾のご実家にも連絡を入れて、生徒会の仕事で実家へ戻れなくなりましたと伝えて。副会長の遠野が責任もってお預かりしますので、って」
 えええっ、と瀬尾は真っ青になります。
「そ、そんな。夏が――印刷――原稿――まだ半分も――この三日で――取り戻すつもりだったのに――」
 明らかに錯乱した様子で頭をかきむしる晶を尻目に、秋葉は携帯電話を切ります。
「これでいいわ。あなたたちも、どこかに連絡しておきたい?」
「わたしは別にいいさ」
「わたしもー。それにしても、さすが秋葉ちゃんだね、冷酷ー」
 羽居は、誉めているのか貶しているのかわかりません。
「まあ、そんなことよりも、遠野がよく、愛しのお兄さんとの逢瀬をきっぱり諦められたなー、って感心するけどな」
 蒼香はニヤニヤしています。
「もう、二度と戻れなくなるわけじゃないんだから。ほら、瀬尾もしゃっきりしなさい」
 秋葉は錯乱している晶の首根っこを掴んで、立たせます。
「ふふふ、その覚悟よ。これで幻想郷が近づいたわよ」
 紫は、手にした扇で口元を隠しながら、嫣然と微笑みます。
「それにしても、あなたたちはやっぱり面白いわね。そんなに生き生きとしてるんだから、やっぱり取って食うのは無理ね」
 秋葉たちは、これは本気なのだろうかと、思わず顔を見合わせます。

「そういえば」
 また森を彷徨することしばらく、秋葉は紫に尋ねました。
「過去にも幻想郷に入り込んだ者は居たのですか?」
「そうね。比較的力ある妖怪、神霊になら難しくはないの。だから、博麗大結界を張ってからも、外からやってきたものは少なくは無い――」
 紫は、思わせぶりに目を細めて見せます。
「そもそも、常人の身であっても、ここに迷い込むことは稀ではないわ。さっき言ったように、あなたたちの世界に執着を持たない、例えば自殺志願者、凶悪犯罪者などの純粋なアウトローが、いつの間にかここに招き寄せられてしまうこともあるの。そうなったら、美味しく頂くわよ?」
 やはり食うのか、と秋葉は背筋に寒いものを覚えました。やはり妖怪。それも力のある妖怪なのです。秋葉も鬼の血を引くという、想像を絶するほど強力な力を秘めた存在ではあります。ですが、目の前の一見人間に見える妖怪からは、それこそ神霊に匹敵すような、圧倒的な力を感じていました。
「あら、『ここ』? 『あなたたちの世界』?」
 ふと、紫の言葉に違和感を覚えた秋葉は、その意味に気づきます。
「うふふ、頭いいわね。そう、ようこそ、幻想郷へ」
 紫が指し示す先、何度も見た博麗神社の境内は、さっきまでとは様相が一変していたのです。
「わあ――」
「やっとついたなー」
 羽居も蒼香も、ホッと息をつきます。境内は、どこかうらぶれていたさっきまでとは違い、隅々まできちんと人手が入った美しい佇まいを見せていたのです。
「なるほど。信じれば入れる、か」
 秋葉も息をつきながら、社殿の前に進みます。
「おーい、霊夢」
 魔理沙は声をあげます。
「この時間、霊夢は夕飯の準備中よ」
「じゃあ、引っ張ってくる」
 魔理沙が駆け出すより早くでした。
「その必要は、無い」
 その声は、一団の背後、今まさに這い出てきた森からしました。振り向くと、巫女、にも見える装束の少女が、どこが気怠げに歩み寄ってくるところでした。
「あら、霊夢」
「なんだい、起きてたのか」
「そっちこそ、変わった取り合わせじゃないの。それに、変わったお客様」
 新顔の少女は、魔理沙と紫を交互に見ながらいいます。
 巫女、かと思えますが、さりとて脇の大きく開いた、しかも袖は独立した造りの奇抜な衣装は、秋葉たちが見たことの無いものでした。しかし、神社に住んでいるらしいことから、やはりこの娘も巫女なのでしょう。
「昼にちょっと話しただろ。例の怪しい奴を追いかけてたんだぜ」
「そういうこと。そしてこちらは――」
 紫は、秋葉たち四人を指し示します。
「“外”からのお客様。霊夢、悪いんだけど泊めてあげてもらえるかしら?」
「構わないけど、もう夜だし、本当にお構いできないわよ?」
「お風呂にだけ入れてあげてね? 後はお布団と。お食事は藍に用意させて持ってこさせるわ。そうそう、迷惑かけるから、お米も一俵くらい分けてあげる」
「大歓迎よ」
 霊夢は突然態度を変え、紫の手をぐっと握りました。
「なんだよ、案外に貧乏してるのか」
「そんなこと無いけど、妖怪退治の報酬が最近はお金ばかりになっちゃって。おかげで、前みたいに俵を担いで依頼に来る人が減ったから、お米をあまり在庫してないの。といって、買ってくるのは億劫だし」
「めんどくさがりなだけなのね……」
 その時、話の行方を見守っていた秋葉たちですが、ただ一人晶だけが、急に驚きを満面に現しつつ、わたわたと手を打ち振ります。
「晶、そんな速さでは空は飛べんぞ」
 蒼香が、取りあえずは見当違いだろうと思える突込みを入れてみます。
「ちっ、違います。この人です! この人がわたしのビジョンに出てきた――!」
 魔理沙が鋭い目で晶を見ます。
「ははーん、そうか。霊夢、どうやらお前は厄介ごとに巻き込まれるらしいぜ」
「どういうことよ?」
 霊夢は不機嫌そうな顔になります。
「ままっ、それは後で話すさ。とりあえずは飯にしたいな」
 真剣な会話は、魔理沙が適当に落としました。霊夢は不審そうな顔になりましたが、取りあえず食事という落しどころには賛成の様子です。一方、じっとしていられない羽居は、ふとなにかを思いついたようで、社殿にのこのこと近づいてゆきます。
 賽銭箱をひょいと覗き込むと、ポケットから出した500円玉を放り、パンパンと拍手を打ちます。
「ある意味で律儀な奴だな」
 蒼香は呆れながらも、同じく賽銭を放ります。こっちは100円玉ですが。
 一方、霊夢は神前で手を合わす羽居たちを、その横でまじまじと見つめます。
「この神社にまともにお賽銭があったの、本当に久しぶりだわ……」
「おいおい、この神社の業務はなんなんだぜ」
 魔理沙はさすがに心配になったようです。
「ところで、夜は七つ半には寝ちゃうあなたが、なぜ今頃境内に?」
「そうそう、それよ」
 霊夢は指をぱちんと鳴らします。米俵が流通し、古めかしい時制が生きている幻想郷ですが、住人の仕種は妙に西洋的です。
「実はね、物凄く変な気配が庭に現れてね。追い回していたら、あんたたちがやってくるのが見えたの」
「それは、どんな?」
 紫が目を細めます。
「あまりなじみ無いわね。妖精とも妖怪とも違う。もちろん神霊とも違うわ。強いて言うなら、レミリアたちに近かったような気がする」
「ほほお、レミリアは吸血鬼なんだぜ」
 魔理沙の示唆に、秋葉たちはハッとします。
「じゃあ、奴?」
「その詮索は後にしましょう。もう夜よ。相手の力が強まる時間に、下手に動き回らないことよ」
 紫が忠告します。なるほど、吸血鬼は確かに夜の生き物。その吸血鬼の力が強まる今、わざわざ探して回るのも危険なことです。
「でも、あんなのを野放しにしておいていいの?」
「ここをどこだと思っているのかしら? ここ幻想郷には、あんなのよりもっと剣呑な妖怪が徘徊しているわ。お互いの領分を侵さなければ、手を出さないけどね」と、秋葉の疑問に、紫が答えます。確かに、目の前のこの妖怪からにじみ出る強大な魔力を見るに、むしろ、かの存在の身を案じるべきなのかもしれません。
「そいつは霊夢が追い散らしたんだろう。じゃあ安心だ。この博麗神社の境界を侵せば、霊夢はすぐに気がつく」
「こっちも、魔理沙や紫がいた方が、いざという時に面倒な思いをしなくて済むわ。じゃあ、みなさん、こっちにいらっしゃい。さっきの件も含めて、改めてお話をうかがいたいわね」
 霊夢に連れられて、一行は裏手の住居へと向かいました。
「わー、広い和室だー」
「和室は落ち着くねえ」
 羽居にとっては物珍しいのか、畳の上でゴロゴロしはじめます。蒼香にとってはくつろげる環境なのか、やはりゴロゴロし始めます。秋葉はさすがにいきなり寝転がるほど無作法ではありません。晶はなぜか机を探しているようです。
「机……机……、せめて下絵だけでも……」
 なぜか切羽詰った顔です。虚ろな目でなにかを求める様子には、鬼気迫るものがあります。
「晶、まだ諦めて無かったのか」
「今回落とすと、しばらくお仕置きで落選続きになるんですよー」
 晶は泣きながら答えます。
「どういう意味?」
 秋葉と羽居が首を傾げます。
「ええっと、説明すると長いんだが、要するに晶は今度のとある催しで本を出せないと、しばらくその催しで本を売れなくなるってことなのさ」
 どうやら事情を知っているらしい蒼香が、見かねて口を挟みます。結局、秋葉たちにはなんのことやらさっぱり分かりませんでしたが。
「とりあえず、お風呂に入ったらどう?」
 霊夢が勧めてくれます。
「ありがたく使わせていただきます」
 が、そう答えた秋葉は、急に顔を曇らせます。
「こんなことなら、着替えを持ってくるんだったわ」
「大丈夫、それも用意させるわ」
 と、紫は請け負いました。
「大きさも心配しないで、調整できるから」
 秋葉たちは霊夢に連れられ、離れにある風呂場に向かいました。
「わー、広いー」
 風呂場の広さに、羽居もみんなも、思わず歓声を上げます。純和風、総檜造と思われる湯船は、秋葉たちの寮のそれに負けないくらい広く、豪華でした。もちろん、寮のそれも豪華な造りでしたが、現代の日本では、この純和風で広い湯船の方が珍しいでしょう。
 みんな揃って湯船に漬かって雑談します。魔理沙、霊夢はもとより、紫も当然のように湯船に漬かっています。こうして裸で付き合えば、親密さも増すというもの。みんな、たちまち和気藹々としてしまいます。
「みんな若くて、ピチピチしていていいわねー」
 紫は目を細めて、湯船に漬かる少女たちを愛でています。見た目の年齢としては、この場では紫が一頭抜けてお姉さん、その他は晶を除いてほぼ同年代というところでしょうか。そして、胸のサイズも、やはり一頭地抜けています。羽居よりさらに、というレベルです。
「そういやあ、見た目似たような年頃の奴が、人妖を問わず多いよな」と、魔理沙。
「そうなの。不思議ね」
 それが何を意味するのか、秋葉は少し考えて見ます。が、あまりにこの地の事情を知らないので、なんとも考え付きません。
「妖怪にしてみれば、枯れ果てたお婆さんよりも、若々しい姿を望むのが当然でしょう?」
 紫が答えます。そういえば、この場で妖怪といえるのは紫だけです。秋葉も、半分くらいは魔物ですが。
「そっか。そして人間が妖怪と戦えるくらい体力を維持できるのは若いうちだけ。年をとると引退するってことなんだぜ、きっと」
「じゃあわたしも、後十年もしたら引退だわ」
「あら、そんなのダメよ。博麗の巫女が引退だなんて」
 すると、今までのほほんと聞き流していた様子の紫が、急に顔を上げます。
「そんなこといっても、いつかは体がもたなくなるわよ」
「ダメったらダメ。霊夢も魔理沙も、引退なんて許さないわ」
 今までの賢者然とした態度はどこに行ったのでしょう。紫は駄々っ子のように言い募ります。なにか、どうしても譲れない事があるようです。
「はいはい、まあずっと先の話だし、体が動く限りはこの稼業を続けるわよ」
「その点、魔法使いなわたしの方が有利なんだぜ。頭脳派だから」
「箒でしばき倒すようなことやってて、よく言うわ」
 霊夢と魔理沙は、すぐに軽口を叩きあいます。その様子を、紫はちょっと強い目で見ています。秋葉は、なんとはなしに心に刻んでおきました。

「巫女さんなのに、妖怪退治するの?」
 幻想郷の情報も集めなければなりません。秋葉は、湯船にのんびり漬かっている霊夢に聞いてみました。霊夢は、今にも湯船に溶けそうなくらいにリラックスしています。
「妖怪退治はね、博麗の巫女の大事な仕事よ」
「そう。博麗神社は幻想郷の要石。人妖を問わず信仰を集めているの。特にか弱い人間にとって、一番の便りなのよ。だから人間の護りとして、博麗の巫女が妖怪退治に駆り出されもするわけなのよ」
 そう解説する紫が妖怪なのが、なんとはなしに不条理な感じですが。
「ここ幻想郷には、妖怪ってどれくらいいるんだい?」
 蒼香が聞きます。
「そうね。わたしはこの神社からあんまり動かないからはっきりとはいえないけど、大きな勢力がいくつか、その他に独りで動き回っているのが無数――」
「大きな勢力? ああ、ゆかりん一派とか紅魔館とか永遠亭とかいった連中だな。まあそれは別格として、大体妖怪は単独で動く。昼間に出歩くのはよほど力ある奴らで、ほとんどの妖怪は夜に出没する。だから夜に出歩くのは危険なんだぜ。昼も危険っちゃあ危険だけど」
 霊夢と魔理沙の解説を、秋葉は心に留めます。この妖怪の跳梁跋扈する幻想郷にも、それなりに秩序があり、大勢力が居るらしいことを。それならば、かの存在を追うのに、それらの勢力の協力を得るのが早道でしょう。
「なあ、この風呂、誰が沸かしてるんだ?」
 のほほんと湯に使っていた魔理沙ですが、はたと根源的疑問に行き当たったようです。そういえば、さっきから湯は熱めになってきています。
「陰陽玉を沈めて沸かしているのよ」
 霊夢は、浴槽の底に沈んでいた白黒二色の玉を取り出して見せます。
「相変わらず、才能を無駄遣いする奴なんだぜ……」
 魔理沙はあきれながらも、どこか羨ましげです。

 風呂を上がり、女の子らしく姦しくも華やかにお喋りしつつ脱衣所に入ります。すると迎えたのは、人数分の手拭いと下着のセット。
「あら、いつの間に」
 秋葉は驚きます。脱衣所と風呂場は板張りで、その隙間からお互いに丸見えです。誰かが脱衣所に入ったとすれば、風呂場からもはすぐ分かります。まるで、狐に摘まれたような気分です。
「わたしの式の仕業ね。手際いいこと」
「――式、ですか」
 秋葉は、無理ないことですが『志貴』と聞き取ってしまい、それから『式』という言葉に思い至るまで一瞬の間を要しました。事情を察したらしい蒼香が、キシシと笑っています。
「そう、わたしの式の藍。式神行使でわたしの僕とした妖狐よ」
 そういいながら、紫はさりげなく、秋葉に目を配ります。秋葉は内心ギクリとします。秋葉も式神行使の能力を持っています。もっともそれは秋葉の生命を分け与えるというもので、この妖怪の行使するそれとは違うのかもしれませんが。それでも同種のそれを秋葉が行使できることを、この紫はまるで見抜いているかのようです。
 それにしても、この紫という存在は、どれほどまでに全知なのでしょう。そして全能なのでしょう。秋葉は、密かに戦慄を覚えます。
「なあゆかりん、この下着、わたしにはちょっと……」
 真っ先に体を拭い、用意された下着を手にした蒼香ですが、はたと困惑します。確かに、用意されているそれは、蒼香のスレンダーな肢体には大きすぎるようです。それを言うなら、羽居を除く誰もが。一方、羽居はというと。
「ねえゆっかりん、わたしにはきついよー」
 と、これは真逆の結果に終わったよう。羽居、紫を除く少女たちの表情が引きつります。その瞬間、幻想郷の境界を越えて、少女たちの間にある種の共感が生まれた瞬間でした。もっとも、いささか殺伐とした共感ではありましたが……。
「大丈夫よ。ほら、ちょいちょい、と」
「お、これならぴったりだ」
 紫が手に取ったと見るや、あっという間に下着は小さくなっています。これなら蒼香にもぴったりです。そうして、紫がみんなの分を調整してくれて、無事にぴったりサイズの下着を身に着ける事ができました。
「どういう手品なの?」
 鏡に、自分(の巨乳)の姿を映しながら、羽居は首をひねっています。カップのサイズ調整をできるような、気の利いた下着ではありません。
「ゆかりんの能力は境界を弄くることなんだぜ。きっと、大きさの境界をいじって調整したんだろうよ」
 魔理沙が解説してくれます。なんとなく男っぽい魔理沙ですが、こうして下着姿になると、やはり女の子なんだと分かります。
「ちょっと、この下着だと落ち着かないわね」
 霊夢は巫女服を身に着けながら、足元を気にしています。そういえば、霊夢が入浴前に着ていたのは古式ゆかしいドロワーズです。
「幻想郷じゃあ、誰も彼もが空を飛ぶから、下から丸見えだと落ち着かないんだぜ」
 魔理沙の解説に、外から来た一同は、あー、と納得します。魔理沙もそうですが、飛んでいるとスカートの中身が丸見えです。その魔理沙はあまり気にしてないようです。こういう点に性格が現れるようです。
「ねえ、ここ霊夢ちゃんのおうちなんでしょ。霊夢ちゃんの自分の下着を持ってくればいいんじゃないかなあ」
 いつの間にか仲良くなっている羽居が、当然の疑問を口にします。
「あのね羽ピン、『タダより素敵なものは無い』って、博麗の巫女の間ではずっと口伝されてきた格言があるの」
「それ、格言かなあ……」
 単に霊夢の性格なんじゃないかなあと思う羽居でした。

 居間に戻ると、もっと驚きの光景が待っていました。
「おー、これは――」
 いつの間にか襖が取り払われ、並べられた食卓に鍋を中心とした豪華な夕食が。確かに大勢での入浴は長風呂でしたが、その間にこれだけの料理を設えるなんて、まるで神業です。
「ありがとう、みなさん。あなたたちはご馳走を呼び込んでくれたわ」
 霊夢は、目がすっかりハートの形になっています。
 豪華な夕餉をみんなで囲みます。当然のようにお銚子が行き交い、和気藹々とした雰囲気になります。
「紫さん、こんなにご苦労いただいた、あなたの式さんにお会いしたいわね」
 ほろ酔い加減の秋葉は、紫に上機嫌で言います。
「そうね。紹介しておくわ。藍、いらっしゃい」
 紫は手を打ち鳴らします。
「お呼びでしょうか、紫様」
 ほんの一瞬です。紫の背後に、これもまた奇抜な装束を身に纏った女性が突如として現れます。一目で人外の存在と見て取れるのは、被り物から突き出た二つの耳と、背後に従えるふさふさした尻尾。見たところ、何本にも分かれているようです。狐、それも妖怪狐なのです。
「けもみみ! けもみみ!」
「こら晶、落ち着け!」
 晶がなぜか興奮し始めたので、蒼香が慌てて羽交い絞めにします。
「月姫先輩、離してください! けもみみ! リアルけもみみなんですよ! ぐっ――」
 とうとう秋葉が手刀を入れて黙らせました。
 一方で、呼び出された紫の式、藍は落ち着いたものです。
「外からお越しの皆様、わたしが紫様の式、藍。一つお見知り置きを」
「お世話になりまーす」
 いつでもフレンドリーな羽居が答えます。なんだか飛びつきたいのを我慢して、うずうずしている様子です。特に尻尾に。
「おー、世話になるぜ」
「料理の準備、ご苦労様」
「お前たちなどお呼びではない。おまけだ。感謝するがいい」
 一方で、魔理沙、霊夢とは旧知の仲のようで、丁々発止という感じです。
 しかしこの藍、考えてみれば初めて見る妖怪らしい妖怪です。魔理沙と霊夢は基本人間ですし、紫も見た目は人間にしか見えません。
「この藍も、かつては九尾の狐として恐れられた身。今はわたしの下で結界の維持に当たっているのよ」
 そう自慢げに話す紫の口調は、わが娘を紹介する母親のようです。
「ところで紫様、気になるものがあったので確保しておきましたが」
「なにかしら?」
「これを――」
 そういいつつ、藍は襖を開けて、それを摘み上げて見せました。それを見た秋葉たちは驚きます。
「〜〜〜〜〜〜〜ん!」
 猿轡を噛まされ、荒縄で縛り上げられているのは、あの『さつき』と名乗った娘に他ならなかったからです。


<続く>

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