東方月探譚 - 5



「うふふ、おいしそうな子たちね」
「食うんじゃねえよ、ババア」



 さて、魔理沙が秋葉たちを連れてきたのは、浅上女学院からかなり離れた森の外れです。いの一番に運ばれた秋葉の感覚では、ざっと20kmほども離れているように思えました。
「神社、ね」
 距離の関係もあって、一時に一人しか運べないので、秋葉は暗い神社の境内に一人残されるという、いささかぞっとしない状況に置かれます。が、ある意味では闇に慣れている秋葉のこと、後続がやってくるまでの間、その神社の境内をうろつき、怪しいものを探します。
 お社はかなり豪壮だったと思われます。だった、というのも、境内にせよ社殿にせよ、明らかに清掃が行き届いてない様子なのです。境内には周囲の森からもたらされる枯葉、枯れ枝が散乱しています。とはいえ、まったく見捨てられているわけでもないような、微妙な散らかり方です。恐らくは、普段は無人で手入れされてないのでしょうが、祭事の際に改めて清掃、補修が行われているのではないかと思われました。
「それにしても変ね。こんな大きなお社に宮司が居ないなんて。それに、こんなところにお社があるなんて、聞いたことが無いわ」
 秋葉は一人ごちながら、恐れも無く境内を散策します。と、その時――
「それはな、この神社の“実体”が幻想郷にあるからさ」
 突然、背後から声をかけられたのです。はっ、と振り向くと、果たしてあの男、秋葉の実兄の――
「お兄様――!」
 思わず、秋葉は懐かしい呼び方を口にしてしまいます。
「ははっ、やっと兄貴といってくれたな」
 拝殿の脇に立つお稲荷様の社の影から、既に何度も見た、そしてもう見たくないと思っていた姿が現れます。秋葉の実兄、遠野四季です。邪悪な、遠野の魔の力の暗黒面に落ちた存在。ですが――
「あなたは――本当に四季?」
 刺々しい反応を返そうとした秋葉ですが、しかしその口調は戸惑い気味の尻すぼみになります。というのも、四季からはなぜか悪意も、禍々しい魔の力も感じられなかったからです。はるか昔、彼が反転してしまう前の、移り気でお調子者の善人だった遠野四季そのものに見えたからです。
「俺は変わらんぜ?」
 そう返す四季が、むしろ不思議そうです。
「お前の方が刺々しすぎるんだよ。だから俺も険悪にならざるを得ないってわけさ」
「――」
 秋葉は無言です。確かにそういう面はあるかもしれません。ですが、目の前の存在は、夜の校舎であの女の子をせせら笑いながら痛めつけた、かの邪悪な存在と一線を画しているように見えたのです。
「幻想郷ってのはな、俺たちの常識の範疇外にあるのさ」
 秋葉の戸惑いを他所に、四季は境内にどっかり胡坐をかき、得々と語り始めます。
「俺たちがあると思わなければ幻想郷は見えない、だがあると思わなくても幻想郷はある、そういう場所さ」
「まるで禅問答だわ」
 いささかの不審はありますが、有為な情報を引き出せると見た秋葉は、四季の話に乗ります。
「そうそう。だってな、要するに幻想郷は俺たちに忘れられた、忘れさせようとさせられてる場所なんだからな。俺たちと袂を別ったやつらからすれば、それが都合いいってわけさ」
「袂を別つ、か」
 秋葉はつぶやきます。四季のいう『俺たち』が、遠野の魔の血を指すのではなく、もっと大きなもの、即ち遠野家をも含むこの世界全体を指すのはわかりました。でも、世界から忘れられた存在とは――?
「あなたは、なんのために幻想郷を目指すの?」
 秋葉は、黙り込んで考え顔になった四季に尋ねます。
「んんっ? そりゃお前、不滅の存在になるためにきまってるじゃねえか」
「あなた、そんなこと考える人間だったかしら」
「仕方ねえだろ。俺の中の、奥深い部分がそう叫ぶんだから。俺に永遠を目指せと、決して滅びぬものを目指せと唆すのさ」
 四季はにやりと笑います。すると、なぜかこの間見せた凶悪で冷酷な色が、ちらりと浮かびます。
「そのためにはなんだってやるぜ。邪魔っけな魔女どもを打ちのめし、妖怪どもを蹴散らし、幻想郷の秘法をこの手に収めるのよ。俺を邪魔する奴には容赦しねえ、丸顔ツインテをこき使って幻想郷を食い荒らしてやる。どいつもこいつも邪魔する奴ぁ敵だ。なんもかんも滅ぼしてやる。殺して殺して殺しつくしてやらあ。あ、お前は別だぞ、秋葉」
 途端に、熱っぽく酷薄そうに話していた顔を破綻させ、四季は秋葉に飛びついてきます。
「ちょっ、なにするのよ、こいつ」
「久しぶりに兄弟のスキンシップを取りたいんだ、いーじゃねえか?」
 じゃれ付こうとする四季から、秋葉は逃げ回ります。それを嬉しそうに追いかける四季です。
「そこまでだーっ!」
 突然、頭上から光が降り注ぎます。光、と見えたのは金平糖のようななにか。星か。それは四季に、ものの見事に全弾命中します。四季は声も上げずに吹き飛ばされます。
「大丈夫か、遠野!」
 秋葉が振り向くと、空中に魔理沙と蒼香を乗せた箒が静止してます。蒼香は身軽に飛び降りてくると、秋葉に駆け寄ってきました。
「あ、ああ、大丈夫よ」
 秋葉は気が抜けて、か細い声で答えるのが精一杯でした。その姿を見た蒼香も魔理沙も、なにか誤解したようです。奇怪な形に四肢を放り出している四季に、険しい目を向けます。
「くそっ、遠野を犯そうなんて、なんて奴だ」
「レ、レイプなんて最低なんだぜ!」
 二人が真っ赤になりながら口にした非難の言葉に、秋葉は頭痛を感じます。
「あのね、そういうわけじゃないの」
「なにっ、遠野がレイプしようとしたのかっ!」
「違うわよ!」
 蒼香の頓珍漢な反応に、秋葉は呆れます。
「そ、そうか。そういうことじゃなければ、いいんだ」
 何がいいのかわかりませんが、蒼香は無理に納得したようです。いったい、普段の自分はどう見られているのか、疲労感が募ってきます。
「おいおいおいおい、やってくれるじゃねえか」
 と、四季がひょいと起き上がります。凶悪な目をしています。もう、さっき垣間見せたひょうきんな雰囲気は、もう微塵もありません。射るような、というより、見るものを虫けらのように萎縮させる目です。もっとも、この場に萎縮してしまうような可愛いタマはいませんが。
「白黒魔法使い君、君は手が早くて無鉄砲で馬鹿だ。どうしてこの俺にいちいち逆らう?」
 秋葉はふと気づきました。口調も変わっている、と。こうなると、どうにもかつての四季とはかけ離れて見えます。が、その一方で四季以外の何者とも思えない容貌と臭いです。どうにもちぐはぐで、秋葉は混乱しそうです。
「別にあんたに逆らいたいわけじゃない。あんたが幻想郷にちょっかい出すのが気に食わないだけなんだぜ」
 魔理沙は言い返します。
「永遠に生きるだかなんだか知らないけどさ、周りを巻き込むのはやめろ。妖怪だって、あんたほどには傍迷惑じゃないんだぜ」
「ははっ、我が道を行けば、周囲のことなど目に入らないのは当然ではないかね、君」
 魔理沙の非難に、四季(?)は平然と答えます。
「人間が崇高なる使命を思慮しつつ道を行くとき、路上の虫けらを踏み潰したところで非難はされまい?」
「その高慢ちきでお馬鹿な考えが鼻につくんだよ」
 魔理沙はピリピリしています。魔理沙にとって幻想郷は故郷以外の何者でもないのだから、それを暴力的に犯し、なにか邪悪なことをしでかそうとするこの男、さぞかし怒りの湧く相手なのでしょう。
「ふん、いくら口で言ってもわからんだろう。お前は幻想郷にありながら、捨食の術、捨虫の術を用いて永遠の生を追求しようとしない。その術があるのに、それを求めようとしない。臆病者め」
 四季(?)は何故か詰問口調です。
「やがて途絶してしまう生など無意味だ。永遠の思索、永遠の探求にこそ意味があるのだよ。何故ならば、やがて途絶してしまう生に、永遠を体験することは不可能だからだ」
「お前のくだらない思想なんて聞きたくも無いぜ!」
「では闇と光とを味わいたまえ、君のカラーリングと同じ、な!」
 四季(?)が両手で四角い枠を形作ると、魔理沙の周囲が突如として闇に包まれます。秋葉と蒼香は、魔理沙の姿が消えたのに驚きます。そして次の瞬間、頭上から野太い咆哮と共に、雷が降り注いだのです。
 激しい雷鳴。それは地を穿ち、周囲の森を白光に染め上げます。雷の拳が振り上げられ、魔理沙を隠した闇を滅多打ちにします。秋葉も蒼香も、耳を聾する轟音に気が遠くなりかけます。大気に、オゾンのゾッとするような匂いが混じります。
 ようやく閃光が薄れた時、秋葉は急いで魔理沙の姿を探します。魔理沙は影も形もありませんでした。魔理沙が立っていた場所を中心に、激しい雷撃の痕跡が、無数の爆発痕となって残されています。
「魔理沙!」
「貴様!」
 秋葉と蒼香が叫びます。蒼香は攻撃用のお札を指に挟み、四季(?)を睨み付けています。
 四季(?)は魔理沙の消えた爆心地に立ち、秋葉たちの非難も知らぬ振りで高笑いしています。
「ハハハハッ、見たか秋葉!、俺の力を! 俺の中に満ちる魔力、そして尽きせぬ魔術知識を! そして死からすら縁遠い俺は最強だぞ。見直したか!」
「知ったことですか、このお馬鹿。なんてことしてくれたのよ!」
 秋葉は怒りに任せて罵ります。蒼香はお札を構え、今にも四季(?)に飛び掛りそうです。
「まあまあ、そんな顔するな。かわいい顔が台無しだ。それにお前たちを傷つけたりはせんよ」
 四季(?)は平然と答えます。
「昨日、あたしたちを焼き殺そうとしたじゃん!」
「単なる脅しだとも。愛する秋葉を傷つけることは出来まい?」
 四季はニヤニヤ笑っています。
「魔理沙、魔理沙、どこ行ったの?」
 さすがに魔理沙が消し飛んだとは考えませんでしたが、魔理沙の姿が無いことに秋葉は心配になります。
「四季! あなたは私の大切な友達になんてことしてくれたの!」
「ほほお、秋葉、友達になっていたのかね。兄として、お前が社交上手になってくれたことは嬉しいよ。だが、友達は選ぶべきではないかね。あんなこそ泥まがいの奴など」
「はっ、言ってくれるもんだぜ」
 頭上からの声に、秋葉も蒼香も表情を明るくしながら見上げます。
「魔理沙!」
 頭上高くから、箒に乗った魔理沙がスッと降りてきます。エプロンドレスのあちこちに焦げ目をつけてはいますが、五体無事なようです。なんと、あの雷撃地獄をまんまと逃げおおせたというのです。
「こそ泥じゃあない。コレクターなんだぜ、魔法使いのお兄さんよ」
 魔理沙は箒から飛び降りると、片手に鉢のようなものをかざします。
「捨食の、捨虫のなんていうけどさ、あれはそんないいもんとは思えないんだぜ、わたしのお仲間を見てるとさ。"捨"なんて付いてるのは伊達じゃないのさ。あれは人間として失ってはならないもんを捨てる術なんだぜ。それをあんたは、わかっちゃいない」
「真実永遠の生命になれるというのに、いくばくかの損失など何ほどのものか。君が臆病なだけではないかね」
「わたしは人間でいたいんだ。あんたみたく安易に求めたりしないぜ」
「安易だと」
 四季(?)の顔つきが険しくなります。
「何様のつもりかね? 君は<永遠>の価値がわかっていない。その癖にすぐ近くにその<永遠>を置いている。使うつもりも無いのに。君は物知らずな愚か者だ」
「はん、それであんたは怒ってるんだ。あんたが狂おしく求めているものを、わたしがもう持っていて、そのくせ使ってないんだってね。そんなばかばかしい考え、さっさと捨てるんだな。いやさ――」
 魔理沙は鉢のようなものをかざします。
「捨てさせてやるさ、悪の魔法使いさんよ」
「やってみろ!」
 魔理沙が鉢を構えると同時に、四季(?)は両手を広げます。その瞬間、四季の両手から炎の舌が延びます。魔理沙めがけて――
「死ね」
 放たれます。魔理沙は動じません。待ち構える風です。
「魔理沙!」
 今度こそ危ない――秋葉も、蒼香も直感します。が、魔理沙は鉢に呪文を呟くなり、「マスタースパーク!」と叫びます。次の瞬間、周囲が赤熱するが如き圧倒的な光束が伸びます。
 微かに、四季(?)の絶叫が聞こえたような気がしましたが、それすら凄まじい光の洪水に巻き込まれ、切れ切れになったのでした。圧倒的な光。それは一直線のビームとなって、闇をまっしぐらに切り裂きます。顔を覆ってさえも、その光は瞼の奥に焼きつくほどです。水平に方向を上げる火山のように。
 地響きのような轟音から耳を塞いでいた秋葉ですが、ふと、顔を上げました。我知らず、顔を伏せていたようです。
「四季――」
 秋葉は辺りを見回します。四季の姿は見当たりません。そして、魔理沙はそれを確認すると、赤熱した鉢を布に包んでぶら下げます。冷ましているようです。それにしても、なんという圧倒的な火力でしょう。秋葉ですら、この火力を“略奪”仕切る自信がありません。
「魔理沙、殺しちゃったの?」
 秋葉は、不条理にも奇妙な喪失感に苛まれながら、魔理沙に尋ねていました。
「そのつもりだったんだぜ。でも――」
 魔理沙は悩ましげな顔になりました。目を中空にやっています。
「だめだな、こりゃ。消せる相手じゃない」
「――?」
 秋葉も蒼香も、首を傾げます。
 その時でした。
「あらあら、魔理沙。派手にやっちゃったものね」
 ちょうど秋葉たちの背後でした。秋葉も蒼香も、ひゃっとばかりに飛び上がります。その声が、あまりにも間近だったからです。
 慌てて振り向くと、そこに人影も無く、森の闇が広がるばかり。ところが、そこに妙なものがあります。一筋、まるで亀裂のように、さらに暗い闇が垣間見えているのです。よく目を凝らすと、その亀裂の両端に、なぜかリボンが結ばれているのが見えます。さらには、何も無い亀裂と見えたそこから、何者かの目や、謎めいたものたちがごちゃごちゃと見えているのにも。それがなんなのか、秋葉たちにはさっぱり見当も付きません。と、その時でした。
 魔理沙、そして秋葉と蒼香も、あっという声を漏らします。その時、なにかがここから消えたのが分かったのです。そしてその時、秋葉と蒼香にも、魔理沙がなぜ悩ましげな顔になったのかが理解できたのです。なぜなら、その瞬間に消え失せたのは、あの四季(?)が纏っていた邪悪な意思そのものに他ならなかったのです。秋葉たちはそこにあったのには気づきませんでしたが、それが消えたのは分かったのです。
「逃げちゃった……」
 秋葉にも、やっと四季(?)の魂のようなものが生き残り、たった今、逃げてしまったことを理解したのです。その、逃げた先は――
「紫、おまえなあ!」
 魔理沙は、その隙間(?)に向かって声を荒げます。
「奴の魂が飛び込んじゃったじゃないか! おまえが無遠慮に隙間を作るからなんだぜ!」
「あらあら、これはうっかりしていたわね」
 さっきの声が、しかしちょっと閉口したような色を帯びます。
「そんなに怒鳴らない、魔理沙。あなたが派手にやっちゃったから、驚いて見に来たんじゃないの。それに魂になってしまったアレは、どのみちわたしたちでは捕まえられないわ」
 隙間(?)の上下に白い指が掛かり、よいしょっとばかりに広げられます。そしてそこから、新手の人物(?)が現れたのです。もう、秋葉たちの世界には“?”だらけです。
 隙間からするりと現れた、新手の人物は、妙齢の女性に見えました。なんとなく、晶が見たら、大層喜びそうな雰囲気の出で立ちです。どこの時代の、和洋中どこの装束にも当てはまらない、奇抜なものです。少し気だるそうな、そのくせ生き生きと悪戯っぽい目で、秋葉と蒼香を眺めます。
「うふふ、おいしそうな子たちね」
「食うんじゃねえよ、ババア」
 魔理沙は予期していたのでしょう、すかさず突っ込みます。
「この二人は、おっと、後二人いるけど、わたしの大切な友達だ。食うんじゃないぞ、スキマ妖怪」
「あら、大丈夫よ。こんな生き生きしたお嬢さんたち、食べたって胃がもたれるだけだもの」
 妖怪、と呼ばれた女性は、動じることなく微笑みます。妖怪か、と秋葉は納得します、胡散臭さ、つかみ所の無さは、まさに妖怪と呼ぶにふさわしい相手だったからです。
「こいつは紫、八雲紫。由緒正しい幻想郷の妖怪なんだぜ。さっき言った、幻想郷の境界を管理している妖怪というのがこいつ」
「うふふ、そういうこと。よろしくね、お嬢さんたち」
 こうして秋葉たちは、幻想郷二人目の住民に出会ったのでした。

<続く>

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