秋葉と小さな秋祭


 その日、いつになく慌しい空気を感じてはいたのです。
 まず、居間には秋葉の姿が見えませんでした。こんな日は、志貴が降りてくるのを見計らって、お茶を入れて迎えてくれるものなのですが。
 琥珀はなにやら調理しているようで、志貴に朝食を出してくれた後は、また台所で忙しげに立ち働いているようです。
 翡翠の姿はとんと見えません。いえ、なにか敷物らしきものを抱えて、中庭から外へと向かっている後姿は見かけたのですが、それから屋敷には戻ってきてないようです。
「ねえ、琥珀さん――」
 食器を提げて、台所に顔を出します。
「まあ、まあ、志貴さん。わざわざ下げていただかなくても」
「でも、忙しそうだからさ。なにかあるの?」
 あら、と琥珀は少し驚いたようでした。
「憶えてらっしゃらなかったんですか。志貴さん、今日は秋祭の日ですよ」
「えっ、祭?」
 志貴は首を傾げました。祭といえば、街の公園近くにある神社でのそれでしょう。でも、あそこは夏祭だけのはず。
「ええ、秋祭。ほら、街の神社じゃなくて、うちの裏にある小さなお社の」
「ええっ、あそこで祭なんかやってたの?」
  志貴は、素直すぎるくらい素直に驚いてしまいました。確かに、遠野家の裏庭、塀の向こうの細い道を越えた森の中に、小さなお社があることは知っています。 でも、そこは本当に小さな、可愛らしいお社で、祭という賑やかなイメージとは、いささかかけ離れているように思えたからです。
「まー、お囃子太鼓、御神輿なんて出ませんけどねえ。ちゃんと祝詞をあげて、なおらいもあるんですよ」
「なおらいって、神様の前でする宴会のこと? それで琥珀さんは台所にこもってるんだ」
「飲み込みが早いですねー」
「秋葉も関係あるの?」
「モチのロンですよー。秋葉様は祭主でいらっしゃいますから、精進潔斎されていらっしゃるんですよ」
「えー、祭主ってことは、祭りを主催する方なんだよね」
 志貴は、必然の連想として、巫女装束の秋葉を思い浮かべてしまいました。夏祭にみんなで行った時の、浴衣姿の秋葉も良かったですが、清純さの象徴とも言える巫女姿の秋葉は、これはもう他に替え様が無いくらいはまり役でしょう。
「いやですよぉ、そんな鼻の下伸ばして」
 琥珀は、志貴の肩を、可笑しげにどやしつけます。
「さすがに巫女さんにはなりませんよ。でも久しぶりに和装になさるので、楽しみにして置いてくださいね。さあさあ、お昼ご飯まで、おとなしくなさっててくださいな」
  そんな風に、琥珀は忙しそうだったので、志貴はおとなしく居間に戻りました。秋葉の様子を見に行こうかとも考えはしましたが、精進潔斎しているという言葉 を思い出しました。邪魔するのはまずいでしょう。では翡翠はというと、これもどうやら祭の準備に駆り出されている様子。仕方ないので、お茶を飲みながら、 時間を潰すことにします。
 少しして、翡翠が戻ってきました。
「おはようございます、志貴様。お目覚めをお出迎え出来ず、もうしわけありません」
「いいよいいよ、祭の準備があったんだろう?」
「はい、お社のお掃除をして、なおらいのための場所を作ってまいりました」
「これって、毎年やってるの?」
「はい。あのお社は、当家の敷地にありますので、当家主催という形で続いております。聞いた話では、江戸の頃から続いているのだとか」
「結構、人も来るんだ」
「いいえ、小さなお社ですから、例年当家から数名、町の古老、顔役の方々数名という有様です。戦前には、もう少し賑やかだったそうですか」
「そんな小さい祭もあるんだね」
「小さなお祭ですが、当家には大切なお祭とのことです。なぜ大切なのかは、もう誰も知らないのですが」
 そう答える翡翠の口調は、ちょっと可笑しそうです。
 昼食も志貴一人でした。秋葉はなおらいに備えているのだとか。さすがに、ちょっと飽きてきました。それを見て取ったのでしょうか、琥珀が声を掛けます。
「志貴さん、そろそろ秋葉様にお出でいただいてくださいな。お料理も出来ましたし」
「呼んで来ればいいんだね」
 そろそろ、秋葉の顔が恋しくなってきてました。志貴は階段を上がると、秋葉の部屋に向かいました。
「秋葉、琥珀さんが、そろそろだってさ」
 あ、はい、と応えがあり、すぐにドアが開きます。
「ほう」
 志貴は、思わず感嘆の色を浮かべました。秋葉は淡い青を基調とした、落ち着いた感じの和服に身を包んでいます。従前、どっちかといえば前衛的な色使いのものを好んできた秋葉だけに、これは返って新鮮です。
「兄さん、そんなに見ないでくださいな。地味な着物なんで、ちょっと恥ずかしいんです」
 お嬢様ゆえか、常人とはちょっと感覚がずれている秋葉です。
「いや、それも似合ってるよ。恥ずかしがることはないさ」
「今日は神様とお会いするのですから、派手な色使いのものは避けようと思いまして」
「秋葉は素材がいいから、なに着ても似合うんだな。女の神様だったら嫉妬されちゃうぞ?」
「も、もう、からかっても、なにも出ないんだからっ!」
「そんなことないさ。思わず抱きしめちゃいたいくらいさ――」
「あのー、志貴さん、秋葉様。そんなところでイチャついてらっしゃらないで、出かけますよ」
 急に横合いから声を掛けられ、二人は思わず飛び上がりそうになりました。いつの間にか側に立っていたのは琥珀。明らかに笑いをこらえている様子です。
「こ、琥珀、いるのなら声を掛けなさい!」
「ですから、声をお掛けしたんですけど」
「だから、そうじゃなくって――」
 明らかに話をずらしながら逃げ出す琥珀を、秋葉は追ってゆきます。志貴は、苦笑いを浮かべると、やはり階下へと降りてゆきました。

 お茶を飲んで、おなかが落ち着いた頃に出かけます。琥珀がお重を、翡翠が飲み物と器を、秋葉が一升瓶を抱えて行きます。
「なにか持つよ」
 志貴は、一番重そうにしている琥珀に、声を掛けました。
「いえいえ、ちょうどバランスが取れているので結構です。それに男の神様でいらっしゃるので、女の子が持って行った方が喜ばれると思いますよ」
 そんな風に断られたので、志貴はいささか手持ち無沙汰です。
 先頭を行く秋葉は、裏庭の奥に進むと、遥かな奥にある裏門から外に出ます。滅多に使われることの無い裏門ですが、それでもスムーズに開くのは、翡翠が手を抜いてない証拠でしょう。
 細い車道を過り、また森の中へと入ってゆきます。この辺りも遠野家の敷地なんだとか。
 獣道めいた細い道を進んでゆくと、急に少し開けた場所に出ます。そしてそこに、小さなお社が鎮座しているのです。
 子供の頃、四季が冒険するというので、裏門を開けてここに来たことがあります。なにせ子供の時分です。たったこれだけのことなのに、大冒険のように感じたものです。
  お社の様子は、当時と変わりありません。古びた、小さなお社が、これまた小さな狛犬を従えて、石積みの上に腰を落ち着けています。石積みは気の利いたベン チになりそうな程のもの、お社は高さ一メートルもありません。小さな、でも手の込んでいそうな扉がついていて、奥のご神体が格子越しに見えます。なんとな く人の姿に見えないことも無い、手のひらほどの石です。あの時、四季がこれをすり替えてしまおうと言い出したので、慌てて引き止めた憶えがあります。
 お社の前には、既に祭の参加者が集まっていました。何度か、遠野家にも顔を見せた、近隣の町の世話役たち、その他はお年寄りが数名というところです。
 お忙しいところわざわざお集まりいただきまして――などと、秋葉が挨拶し、少しの間だけ時候の挨拶が続きますと、すぐにお祭が始まったようです。
 まず各々が、二礼二拍一礼の、正式な形式で参拝します。それから、お年寄りの一人が、懐から古びた冊子を取り出し、なにやら抑揚をつけて読み始めました。祝詞というのでしょうか。でも、微妙に意味が分かりそうです。汝の簪がなんとやら、とか。
「これは祝詞というより、昔の都での流行り歌だったそうですよ」と、琥珀が小声で教えてくれました。なるほど、確かになにやら恋の鞘当のように聞こえる気がしないでもありません。しかしまた、なんだって神様にこんなものを聞かせるのでしょうか。
 祝詞は数分ほども続きました。古老が冊子を懐に納め、咳払い一つすると、全員が拍手を打ち、頭を垂れます。それでお終いです。ずいぶんと、あっさりしたお祭です。
  祭の後はなおらいです。既に、お社の脇の空き地に、翡翠の手によってレジャーシートが敷かれていました。琥珀が作ってきたご馳走の他、それぞれが持ち寄っ てきた料理、お酒が振舞われます。酒の出る宴会ということで、志貴は少し警戒していたのですが、ほとんどお年寄りばかりという状況では荒れることも無く、 ホッと胸をなでおろしました。
 なおらいというのですから、料理は神前に供えるべきなのでしょうが、まあ小さな祭なのでそこまで拘っていないよう です。出てくる話題といえば、誰々さんが腰を悪くしているだとか、お孫さんが大学に入ったとかいったものばかり。遠野家の者と近所の人々とは、通常はほと んど没交渉ですから、これは数少ない風説をうかがう機会ということになるのでしょう。
 なおらいも、世話役の人が赤ら顔になった頃にお開きです。そろそろ秋も終わり。夜風は身にこたえるでしょう。だから、まだ日のあるうちに終わるのでしょう。三々五々、挨拶を交わしながら、町の人たちは帰って行きました。後は、遠野家の者たちで片付けです。
「手伝うよ」
「はい、じゃあ志貴さんは、秋葉様をお連れして、これだけ持ち帰ってくださいな」
 琥珀はそういいながら、空き瓶の類と、空のお重の入った風呂敷包みを差し出しました。
「琥珀さんと翡翠は?」
「ここのお片づけをしてから戻りますんで。もうそんなにありませんよ」
  実際、後はレジャーシートの片付けくらいでしょうか。それくらいなら待とうかなと一瞬思いましたが、琥珀が微かな目配せをくれたのに気づき、秋葉を連れて 帰ることにしました。要するに、志貴と秋葉に気を遣ってくれたということなのでしょう。志貴は感謝しながら、秋葉を連れて屋敷に戻ります。
「いやあ、こんな祭もあるんだな。町内の人だって知らないだろ」
「昔は、この辺の氏神様だということで、それなりに重要なお祭だったそうです。昨今では、この有様ですけど」
「秋葉はずっと参加してるのか?」
「いいえ、以前はお父様がいらっしゃったので。私は去年からです」
「びっくりしたろう、こんな小さな祭だなんて」
「いいえ、大体のあらましは聞いてましたから。それに、私は大きなお祭より、よほど好きです」
「そうだなあ。秋葉はこういう可愛らしい祭の方が、なんだか似合ってる気がするよ」
「どういう意味ですか」
「秋葉が可愛いって事だよ」
「なっ――だから、私をほめたって何も出ませんからね」
「俺は秋葉が可愛いと思って、素直に口に出してるだけなんだけどな」
「兄さん、なんだか酔ってらっしゃいません?」
「うん、少し」
「もう」
 秋葉は口を尖らせます。それでも、志貴としっかり手をつないで歩いて行きます。
「あのお社は」と、少し二人きりの沈黙を楽しんでから、秋葉は口を開きました。
「昔、この辺を治めていた領主の子供が、人に似た石を見つけてきたのが始まりなんだそうです」
「ああ、あの御神体だな」
「その領主様はとても親馬鹿だったみたいで、子供が持ってきたただの石ころを『こんな賢い我が子が見つけてきたのだから霊験あらたかに相違ない』なんて、お金を出して村人たちに祭らせたのが、あの御神体の起源なんだそうですよ」
「それはまた、親馬鹿も極まれりってものだな」
「そう、村の人たちにはちょっと迷惑だったかもしれませんね。でも、なんとなく気持ちは分かるじゃないですか」
 そう答える秋葉の横顔は、なぜだか羨ましそうだった。
「親が子の事を思う、子の事を持ち上げるなんて当たり前じゃないですか。千尋の谷のご近所の猛獣みたいな親御さんなんて、そう滅多に居ないと思います。きっと、その領主様の子供たちは、幸せに暮らせたでしょうね」
  そんな話をする秋葉の横顔を見ていた志貴は、その羨ましげな色の正体に気づきました。だって、秋葉の父親は秋葉には厳しく当たったそうですし、母親は秋葉 を生んですぐに亡くなったということなのですから。秋葉には、自分を馬鹿みたいに思ってくれる親というものが、居なかったのです。
 志貴だってそ うです。七夜の里が滅ぼされた時、志貴は両親を失ってしまいました。それまでに、父からは厳しく鍛錬された記憶があるものの、母親のそれはおぼろげなもの に過ぎません。いや、おぼろげであれ、母の胸に柔らかく抱かれていたという、どこか甘い記憶があるだけ、秋葉より恵まれているのかもしれません。
「これからも、その親馬鹿に突き合って行くんだよな」
 立ち止まり、秋葉の頭を優しく撫でてやりました。
「そ、それはそうですよ。だって、遠野の当主の義務なんですから」
 すぐに当主の顔を作って、恥らう秋葉です。でも、少し嬉しそう。
 二人は、屋敷の方に歩いていきました。が、秋葉はふと足を止め、こういいました。
「実は、このお祭は、その領主様の子供が亡くなった時に始まったのだそうですよ」
「そうか。昔は子供もよく死んだそうだからな」
「はい。それで、大変悲しんだ領主様と、その子供を可愛がっていた村の人々が、その子の命日に始めたのが、このお祭の由縁なのです」
「――」
  なにかに胸を打たれて、志貴は押し黙ってしまいます。あの小さな、なんてことのない石に込められた、親の、村人たちの思い。それが今に至るまで続いてきた という事実に、なにか圧倒されるような思いを抱いたのです。何百年もの間、その謂れすら忘れ去られながらも、この小さな祭は脈々と続いてきたのです。
「でも、この町のご老人が亡くなって、私たちも死んでしまったら、お終いですね」
  秋葉は寂しそうに言います。その口ぶりで、秋葉が遠野家の当主として祭を続けられないことを惜しんでいるのではなく、祭に込められた親としての、人として の思いに心動かされていることが分かります。志貴の心は痛みました。いつの間にか独りぼっちになってしまった遠野の者として、秋葉は今にも途絶えてしまい そうなこの祭の行く末に、自分を重ねてしまっているのです。
「ばか」
 志貴は、秋葉の肩を抱き寄せると、柔らかくいいました。
「そんな顔するなよ。来年からも続けてゆけるだろう?」
「でも、先行きはあまり明るくありません」
「だからさ」
 志貴は苦笑しました。
「秋葉にしては悲観的だな。町のお年寄りがっていうのなら、子供たちを呼べばいいじゃないか。子供の祭だって言うんだからさ。そしたら、親も呼べるだろう? なんだ、案外に賑やかになりそうじゃないか。ああ、そうなると屋台も出るかなあ」
「そ、それは、なんだかお祭の形が変わってしまいそうです――」
「でもさ、祭られてる神様だって、死んだ子供だって、賑やかな方がいいんじゃないかな」
「このしんみりしたお祭がいいんです!」
「だからさ――」
 志貴は秋葉を抱き寄せると、こうささやきました。
「俺たちの子供にとっても、賑やかな祭の方がいいだろう。そのうちに、子供をたくさん連れてこような」
「なっ、兄さん――」
 秋葉は真っ赤になりましたが、すぐに表情を和らげると、恥じらいながらも兄の胸に体を預けました。
「もう……、まだそんなこと、早いですよ?」
「でも、俺は秋葉との子供、早く欲しいな」
「兄さんが望まれるのでしたら」
 二人は見詰め合って、軽く口付けを交わしました。さらにいちゃつこうというのか、志貴は秋葉を、その腕にすっぽり包んでしまいます。その時です。
「あのー、秋葉様、志貴さん、そんなところでいちゃついてらしたら、お体を冷やして風邪を召しますよ?」
  絶妙のタイミングで、二人は背後から声を掛けられました。ちょうど二人の世界に入ったところだったので、それこそ飛び上がらんばかりに驚きます。声を掛け た琥珀の方は、二人のすぐ背後に立って、不思議そうな顔をして見せています。が、それが作った顔なのは、志貴にすら見え見えでした。そんな姉を、翡翠は呆 れたように見ています。
「琥珀! ちゃんと声を掛けなさいって何度言ったら分かるのよ!」
「ええ、ですから声をお掛けしたじゃありませんか」
 イイところで邪魔されてご立腹の秋葉を、琥珀は見事にずれた言動で交わし、そそくさと逃げ出します。そんな琥珀を、秋葉は追いかけてゆきます。
 志貴は、そんな二人を唖然と見送ります。横に立つ翡翠は、微かに苦笑しているようです。
「とにかく、お止めしなければ」
 翡翠も立ち去ってしまうと、志貴は一人取り残されてしまいました。
 志貴は、急に寂しくなってしまったお社の方に振り向くと、
「じゃあ、また来年な」と、言い残して、去ってゆきました。

 さっきまで人影のあったお社は、秋の夕暮れに寂しく沈んでゆきます。また来年まで、ここに訪れる者は稀でしょう。それでも、さっきまでの祭の残り香が、まだ漂っているようです。
 遠い稜線に落ちる夕陽が、最後の陽光を投げかけた時、お社の中のご神体を、一瞬だけ白く浮かび上がらせました。まるで『じゃあ、また来年』と別れを告げている、子供のような姿を。

<了>

TOP / Novels